2014年 05月 02日
スピリチュアルケアの勉強室 #22 2014年4月 |
「しなければならない」のか「したい、させてもらう」のか
マーク・トウェインの『トム・ソーヤー』のなかで、トムはポリーおばさんを怒らせた罰として、庭の塀のペンキ塗りを命じられた。天気のよい日、友だちは泳ぎに行くというのに・・。しかし、トムは「このフェンスのペンキ塗りをしてもいいのはぼくしかいない」と友だちに言った。すると、友だちは「僕たちも一緒にさせてくれ」と叫び、皆でペンキ塗りをすることになった。その結果、皆が満足感を得た。つまり仕事とは義務感を生じさせ、遊びとは自ら進んで得た喜び、自由な気分を起こさせる。「しなければならないこと」であっても「してもよいこと」や「させてもらえること」に変えられる可能性がある。これがマーク・トウェインの結論である。
ちょっと日常会話を考えてみても、「…しなければならない」「…しなくちゃいけない」のような表現が多い。「郵便局に行かなければならない」「洗濯しなければいけない」「電話をかけなければならない」などなど。この「…しなければならない」を「…してもよい」「…させてもらう」「…できる」に変換できれば、心理的及び内面的(スピリチュアル)な状態を軽やかでpositiveで張り合いのあるものに変えられる可能性がある。例を挙げれば、
・「今、郵便局に行かなければならない」を「今、郵便局に行くことができる」に、
・「明日、洗濯しなければいけない」を「明日洗濯をしよう。きれいになるのは嬉しい」に、
・「電話をかけなければならない」を「今、電話がかけられる。その後は自由だ!」に、
それぞれ言葉を変えることによって、自分の気持ちや心の動きが変化するだろう。
仕事にも遊びやスポーツと同様にルールがある。初めは堅苦しく面倒に感じても、やればやるほど「ゲーム」のように楽しめると私は思う。寿司屋職人や理髪師が働く姿を見るときも、張り切って気持ち良く仕事をしているな、と感じることが多い。基本やルールが自分のものとして身につけば、その中での義務は喜びや楽しみに変えられる可能性がある。決まりを守る、義務を果たすというような消極的な姿勢ではなくて、進んで喜んでことを成そうという姿勢に変えられうると思う。
責務を果たすこと、皆が納得した約束やルールを守ることは、良心の問題、言わば心=スピリチュアルな領域に属する。一方、どういう気持ちで行うかは心理の領域である。従って、自分の気持ち(心理状態)を意識して、その拠ってくる來るところを追及する必要も生じる。気持ちの良い状態が必ずしも心の良さ/善さの表れではないからである。このことは、弱い者いじめや不当な金儲けなどのことを考えれば自明であろう。
マーク・トウェインの『トム・ソーヤー』のなかで、トムはポリーおばさんを怒らせた罰として、庭の塀のペンキ塗りを命じられた。天気のよい日、友だちは泳ぎに行くというのに・・。しかし、トムは「このフェンスのペンキ塗りをしてもいいのはぼくしかいない」と友だちに言った。すると、友だちは「僕たちも一緒にさせてくれ」と叫び、皆でペンキ塗りをすることになった。その結果、皆が満足感を得た。つまり仕事とは義務感を生じさせ、遊びとは自ら進んで得た喜び、自由な気分を起こさせる。「しなければならないこと」であっても「してもよいこと」や「させてもらえること」に変えられる可能性がある。これがマーク・トウェインの結論である。
ちょっと日常会話を考えてみても、「…しなければならない」「…しなくちゃいけない」のような表現が多い。「郵便局に行かなければならない」「洗濯しなければいけない」「電話をかけなければならない」などなど。この「…しなければならない」を「…してもよい」「…させてもらう」「…できる」に変換できれば、心理的及び内面的(スピリチュアル)な状態を軽やかでpositiveで張り合いのあるものに変えられる可能性がある。例を挙げれば、
・「今、郵便局に行かなければならない」を「今、郵便局に行くことができる」に、
・「明日、洗濯しなければいけない」を「明日洗濯をしよう。きれいになるのは嬉しい」に、
・「電話をかけなければならない」を「今、電話がかけられる。その後は自由だ!」に、
それぞれ言葉を変えることによって、自分の気持ちや心の動きが変化するだろう。
仕事にも遊びやスポーツと同様にルールがある。初めは堅苦しく面倒に感じても、やればやるほど「ゲーム」のように楽しめると私は思う。寿司屋職人や理髪師が働く姿を見るときも、張り切って気持ち良く仕事をしているな、と感じることが多い。基本やルールが自分のものとして身につけば、その中での義務は喜びや楽しみに変えられる可能性がある。決まりを守る、義務を果たすというような消極的な姿勢ではなくて、進んで喜んでことを成そうという姿勢に変えられうると思う。
責務を果たすこと、皆が納得した約束やルールを守ることは、良心の問題、言わば心=スピリチュアルな領域に属する。一方、どういう気持ちで行うかは心理の領域である。従って、自分の気持ち(心理状態)を意識して、その拠ってくる來るところを追及する必要も生じる。気持ちの良い状態が必ずしも心の良さ/善さの表れではないからである。このことは、弱い者いじめや不当な金儲けなどのことを考えれば自明であろう。
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by pastoralcare-jp
| 2014-05-02 12:11
| 勉強室