スピリチュアルケア・ワーカーの資質
-アイデンティティー・認識・概念・確認と他者よりの評価・批評の受容-
研修会での経験だが、あるスピリチュアルケア・ワーカー(以下ホスト)に、私が受けたその方の印象を率直に伝えたとき、即座にその方の顔の表情が暗くなり、それ以上コミュニケーションが続けられない状況に変わった。 最近別のところでもそのような経験を3度ほど持ったので、これを機会に患者訪問の際のホストとして取るべき態度について私の意見を述べたいと思う。
ホストが患者(ゲスト)を訪問するとき、自分自身以外には何も持たない。ゲストとのコンタクトが成り立つのはホストのこころを含めた全人格によるものである。 この場合、もちろんゲストの人格も重要な影響はもっている。
さて、人間は誰しも完璧な存在ではない。 人間はその感性や思考によってそれぞれ異なる意見、異なる感じ方をする。同じ状況におかれても、それをさまざまな形で体験し、従ってその体験をそれぞれに違った表現の仕方で表す。例を挙げて説明してみよう。 富士山は唯一の山でありながら、さまざまなイメージで表現されている。日本の代表的な象徴だが、自然科学的に見れば大きな泥の塊に過ぎない。 しかし、画家の描く富士山の絵をみると正に千差万別である。 見る視点、見る観点、感性の違い、画才の違いなどによってその捉え方は全く違ってくる。 どれが「正しい」表現なのかは断定しがたい。人間もそうである。同じ人物でも観察者によって異なった捉え方をされるのはごく当たり前であろう。 歴史的人物についてみても、ある人物がさまざまな捉え方をされているのはこの事実を反映している。
私自身が他者から受けた評価で説明してみよう。私は、「取っ付きにくい人」「変わった神父」、「厳しい先生」、「日本語が下手な人」、「日本語が上手な人」などと言われたことがある。ある時、一人の姉には「まだそんなに太っているの」と言われもう一人には「まだそんなにやせてるの」と言われたこともある。最近、インターネット上で「キッペスの人間学の授業は『嫌い』。キッペス自身も嫌な奴だった」というような好ましくない評価もあった。その反対に、ある人からは「大切な方」「キッペス師」「ほんもの」などと評価されたこともある。私自身は自分についてのイメージを持っているが、他者の私についてのイメージも大切なものだと思い、受け入れようとしている。受容と言っても他者の意見として尊重して受け入れるのであって、その内容に自分が同意するかどうかはまた別の問題である。
身体的、社会的、知的、心理的、心・霊・魂など多くの側面から考えてみると、自分に対する他者の意見を「受容」するのは、一般的に言って決して容易ではないことが理解できる。 例えば、医師から自分の病気について悪い事は聞きたくない。他人から自分の社会的地位を軽んじられたくない。 知的能力が低いなどとは言われたくない。感情が激変するから付き合いたくないなどと言われたくない。 約束を守らない、信用できない人と評価された時どんなに心が痛み、受け入れにくいことか。それらの評価を覆して欲しいと思うのは極めて自然な事だと思う。 自分の信条・信仰や哲学などについて嫌な評価を受けた時には尚更受け入れ難いことであろう。
しかしながら、スピリチュアルケアの際、ゲストのホストに対する感想や意見・考えをホストが素直に受け入れることは不可欠である。ゲストにホストが好ましくないと評価されている場合に、顔色をはじめ、目つき、身振りなどにその評価を受容できないような表情が出てしまうようであれば、そのホストはそのゲストを訪問するにはふさわしくない。
更にスピリチュアルケアはチームワークで行うので自分の態度、資質、人格などについて多くの事が要求されているのはいうまでもないことである。 少なくとも、他者の意見を受容できるように自分を訓練しなければ、良いチームワークで有効かつ健全な活躍はし難い。 従って、スピリチュアルケア・ワーカーはまず自分自身のアイデンティティを確立し、自分自身の顔付きを含めて他者の自分自身に対する意見(フィードバック)を受容する訓練が欠かせない要素である。ありのままの自分自身を受容し、相手の意見を受け入れることを習慣化させるために、スナップ写真など撮る時もありのままの自分(の顔)を撮ってもらうようにすればよい。(自分の顔の写真を撮ることを断る人がどうして患者訪問などできるだろうか。) このような訓練を日常生活のあらゆる面で実行していく事が望まれる。
そして、人間は完璧ではないのだから、間違いを犯す事を恐れず、間違ったら直ぐに率直に謝れるような訓練もしておく必要があろう。
以上述べたように、臨床パストラルケア(スピリチュアルケア)・ワーカーにとって、他者の意見を受容出来る事が大切な資質である。 そういう資質が自分には欠けていると思ったら、常日頃から意識して自己訓練し研鑽を積んで欲しい。