スピリチュアルケア誌 75号 2017年4月 |
無声映画で有名なチャーリー・チャップリンの『モダンタイムス』に出てくるある場面。彼は旅に出ようと駅に行く。案内板の前に立ったものの、どの汽車に乗って行けばよいか分からない。そこで彼は体をグルッと一回転させてから、右の手をグルグルっと数回まわし、案内版に向かって指さし、その指がさした駅の切符を買って汽車に乗った。
これは笑い話だが、今の現実を端的に現していると言っても例外ではない。人生の目標を熟慮せず、運に任せて生きようとする人々は少なくない。
新しいスタート
4月は1月に続く第2のスタート地点である。特に学校や会社では新年度が始まる。そのスタートにはできるだけ明確な目標や夢を持てることが望ましく、その目的に向かって第一歩を踏み出す土台となるであろう。希望通りになるかどうかは別としても、「やってみよう!」という勇気をもってその目標に向かって踏み出すことで、その人の将来はつくられていく。
自分で考えること
現代社会を生きるためには、私たちを取り巻く環境について知る必要がある。この記事を書いているときにも、ロンドンではテロが起き、ソマリア、南スーダン、ナイジェリア、イエメンでは20,000,000人が飢饉の状態にある。2016年、シリア・アフガニスタン・イラク・メキシコ(麻薬戦争)とナイジェリアでは各国で10,000人以上、フィリピン・ルワンダ・ソマリア・ウクライナ・パキスタン北西部・南スーダン・リベリア・シナイ半島・トルコ(クルド人PPT)とスーダンでは各国で1,000~9,999人が内戦によって殺された。この15カ国だけで、少なくとも60,000人が殺されている。このような戦争(殺人)に協力する、言わば武器の輸出をしている国は、アメリカを筆頭にロシア・中国・フランス・ドイツだが、実際に、武器の輸出で一番お金を儲けているのは日本である。それだけではなく、ヨーロッパでのテロや、イスラエルとアメリカが数メートルの壁を築き、隣国との交流を抑止するプロジェクトなどを合わせると、私たちの生きる現代世界は、人間に相応しくない、平和にはほど遠い状況にあることが分かる。武器輸出額がトップである日本も、今や安全な国ではない。武器輸出は別として、先月の北朝鮮のミサイル発射実験によって、日本にある米軍基地が破壊できる脅威が示された。
旧ソビエトの最後の大統領ゴルバチョフMikhail Gorbachevは、「The New Russia」という本で、現代社会を次のように表している。「世界は戦争のために準備しているようです。潜水艦の一発で陸の半分を全滅できるのです!」
この理想的ではない世界情勢において、私たちが納得できる生き方を実現するには情報や教育よりも、各自の反省と責任に基づくものが求められている。人間に相応しい世の中を形成するには一人ひとりの努力と協力が欠かせない。なぜならば、明確な目標を持ち、その実現に向けて生き続けることは、個人的な課題でもあるからだ。
現代世界の中に意義・価値のある人生を
納得できる意義ある人生は、最終的には内面的な生き方、言わばスピリチュアルライフであると仮説すると、その基本的な要素として、以下の事柄が考えられる。
・自己の生きる意味を形成するという、継続的な使命
・理念と責任を持つ
・実践するために必要な要因(例:身体的、社会的、精神的、内面的<ス
ピリチュアル>)を育成する
・心身のある程度の健康と能力、仕事と健全な人間関係、自然や超自然と
共に生きる心などを保つ
・信念や信仰を隠さずに生き、証しする
・人間や社会の多様性を認め、それを理解するよう努力し、尊重する
・他者に自己の信念を、強制的に負わせようとしない
考えて生きる
天気のよい日に「今日はよい天気ですね」と挨拶すると、相手は、「でも明日は雨になるらしい」と答えることがある。そのとき、私は「誰が言ったのか?」と聞きたくなるが、「天気予報で」という決まった返事が戻ってくるのを、あえて予想しないことにしている。自分自身が天候から得た自己知識を、最小限でも聞かせてほしいからだ。
最近、私は鼻血が出ることが多くなったが、それを他者に言うとすぐ、「病院に行ったの?」と言われるのが好きではなかった。その代わりに、「鼻血に関してどう考えますか?」と聞かれたのならば返事ができたと思うが、医者に身体的な全てを任せてしまいたくはない。自分の考える能力をできる限り活かしたいからだ。(認知症を防ぐためにこそ!)
生きるために役に立ったこと、またはコツ
以下に、意義のある人生を生きる努力をしている人々を紹介する。
* だんだんできなくなることが多くなるにつれ、それは老化による身体の衰えなのか、それとも脳の基礎疾患によるものなのか、判別しにくくなっている。それでも、脚の不自由、難聴のほか、神経の病による様々な心身の痛みとともに日々を過ごす私自身をそのまま受け入れるしかない。そして、他者に自分の抱える困難さをさらさないように、できるだけ明るくしていたい。そのために、神への信仰は助けになっている。
自分自身の力だけではどうにもならない苦しみは、祈りによって和らげられることを知った。イエス様がいつも共にいて、助けてくださることを知った。しかし、今、家族の事情(長年の親の介護)で苦しんでいる人に、自分はこうして困難を乗り越えたという体験を話しても、うまく伝えられない
* 病気になってから、リハビリが一番役に立った。汗びっしょりになって、毎日歩いたり、リハビリの先生と一緒に階段昇降をしたりしたことで、自信がつき、日常生活が送れるようになった。
期間を特定しないとすれば、やっぱり友だちが一番だと思う。辛い時や、悲しい時に話を聞いてくれたり、一緒に酒を飲んでくれる友だちがいなかったら、今の自分はないかもしれない。あとは仕事と仲間だと思う。
リハビリの原動力になったのも、会社に復帰して、社会の一員として役に立ちたい、との思いが強かった(社会復帰までに10年間闘った50歳代の男性)
* 自分を生かすコツ
・「今、工事中です」と、うまくいかなかった時は自分に言い聞かせる
・弓道の稽古に励む。的に集中する
・感謝をする
・他人の評価で生かされてはいない、と思う
・自分の良いところを褒められたことを思い、良いところもあるのだと思う
・うまくいかない時は、何か意味があると思い、工夫する。
・「ヘッチャラさ!」と、自分を勇気づける。
・困難な時は「何とかなるものだ」と思う。
・気持ちが沈む時は、なぜ気持ちが沈んでいるのか、分析する。そして、理由を明確にする。(50代の男性)
* イエズスを見いだすきっかけは、思い通りにいかない人生のことや、自分を取り巻く世界の不幸な出来事を自分なりに考えてみると、確かに、この世の価値観においては不幸かもしれないが、困難の中にあって、日々生きている現実の中に、どこからか支えとなる力が与えられているという気づきがあって、どんな現実をも受け入れる中で、自分自身(体・精神・魂)が、見えない存在、聴くことのできない声、不思議な感覚で守られている。生かされている。
日々の身近な自然が、何時も姿を変えて、美しいそのことが、大いなる存在との交わりであり、喜びを覚えている。その感覚が信仰といえば、自分にとっての助けである。やはり、人生はきれいごとだけではない、いつも楽な方へ安心を求めることに逃げがちになる日常だからこそ、黙想会はリセットのきっかけとなる。(60代の男性)
* 私は震災の半年前から俳句を勉強しています。師は今年93歳になられる方で、一瞬一瞬を活き活きとされています。
俳句は、五・七・五の17文字で自分の思いを表現しますが、その表現のしかたは感情を直接表すのではなく、事象・現象・気象・生物(植物・動物など)の形を借りることが多いです。私は俳句を作るということは、自分の心と向き合うことであるような気がします。他の人の書いた俳句を読むときは、その俳句を書いた人の思いを俳句から読み取り、理解しようとします。書かれた俳句の解釈は読む人に任されるので、書いた人の思いのうちの100%は伝わらないかもしれませんが、核となる部分が理解できた(理解された)ときは感動します。
俳句では、吟行といって散歩しながら俳句を考えることがあります。散歩の途中で出会った草木花、昆虫、動物、太陽、月、光、風などを、自分の五感・全身で感じ、感謝しながら、その一瞬の「今・ここ・我」を17文字に表現します。
俳句を作るということは、私にとってスピリチュアルなことだと感じます。自分と向き合うこと、相手の方の思いに寄り添うこと、全てのことに感謝することをいつも意識したいと思います。(60代の女性)
* 私の一番の気分転換は、空を見て、ボーっとすることです。特に、夕暮れ時がいいですが、ちょうど他に時間を取られやすいので、なかなか思うようにはいきません。それに、今住んでいる所は、庭が狭くて、適していません。近くに歩道橋があるので、台風の前の夕暮れ時は見に行きます。刻々と変わる雲の色は、まさしく「神業」で、見とれてしまいます。至福のひとときです。(60代の女性)
* Bさんはしっかりした方だったのに、集いの日や時間を忘れることが多くなり、連絡ができなくなり、皆で心配していました。時々私の家にふらっと来られて、落ち着かない様子なので、お茶を出してお話を聞いたりしているうちに、元気になって帰られるようなことが何回かありました。困ったときは、何時でも来てくださいと声をかけていました。その方の家は、私の家の後ろの棟で(団地住まい)、私の家の窓が開いていると、「〇〇さんが家に居ると思うと、とても安心する」と話されるので、家に居るときは何時も窓を少し開けています。今は寒いので、カーテンを少し開けています。集いがあるときなどは、声をかけ一緒に行ったりしています。(80代の女性)
私事になるが、私に強いインパクトを与えた二人の男性について。
* ジャーナリストの後藤健二氏は、ISに捕まった湯川遥菜氏を解放するために2014年秋、シリアに入り、2015年1月、ISに殺された。その後、後藤氏が2010年に書かれたTweetが公にされた。「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。――そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」
* パリのテロで奥さんを失った若いフランス人は、「私はあなた方(テロリスト)にヘイトのプレゼントをあげません」と宣言した。
以上の方々は青写真のない人生を生きる模範である。外部から見えたものを真似するのは望ましいものではないが、自分の信念を生きた証明となるものであろう。
終わりに
映画『モダンタイムス』の最後の場面は、チャップリンが相手と腕を組み、希望に満ちた顔で力強く、未知の道路(将来)を歩き続けていく。行き先(将来)は分からないが、生きる力は自己への信頼だ。正確な行き先は知らなくても、将来を信じて人生の旅を続ける。「明日をつかむ」には、「今日をつかもう」から始まるからだ!
