2013年 10月 23日
スピリチュアルケア誌 61号 2013年10月 |
人生のハードルを生きる力 スピリチュアリティ
日常生活の中で「お元気ですか」という挨拶は常套句である。それは決まり文句(無難な挨拶)として、相手の健康を思い遣りつつ、困難のない生活を願いつつなど、その時々、相手によっても込める思いは様々であろう。私個人はこの「お元気ですか」という挨拶があまり好きではない。身体的な健康は大切であるが、何のためにその健康があるか分からなければ私にとっては虚しい人生だ。私は生きる意味、目標を意識し、それを明確にさせてくれるような刺激となる挨拶が欲しい。日常会話においても理想的でない社会や政治に対する批判、身体的健康(一般論)よりも自分の人生の目標、それに向かって生きる個人的なコツ、自身の健康管理の具体例や経験、社会と政治に対する個人の理想、それを実現するための努力や協力、こういう事柄に関する会話を私は求めている。(例えば、私は福島原発について不平を言うことよりも、節電や節水の実践の仕方、資源の使い方についての意見交換に意義を感じ関心がある。)
病院は自ら好んで喜んで入るような場所ではない。言い換えれば、人生が思う通りにならないことを実感する場所でもある。だから病院は、身体だけではなく、心・霊・魂を含んだ全人的な人間像を求めて機能するような場所(存在)であってほしい。人間は機械のようなパーツの集合体ではなく、身体・心理/精神・心・霊・魂が深く影響し合う一体としての存在であることを人生の最期まで尊重して欲しいからである。
このような考えを持っていたので、ドイツの医療現場をみて参考に出来ることを得たいと思い、9月20日~10月2日まで「第16回 心と魂のケアとホスピス研修旅行」を実施した。従って、この旅行は医療における全人的ケアを学ぶために企画された。
研修旅行の準備は昨年末から始まったが、私の健康状態が悪化し1月に入院したため、本格的な準備は4月に入ってから始めた。当初、参加申し込みが思ったほどなくて、8月末の時点ではまだ研修旅行が実施できるかどうか危ぶまれた。私の健康状態もあまり思わしくなく計画も思う通りにはならないため心理的に不安な状態が続いたが、心の奥深くでは何とかなるだろうという確信があり、心と魂は煩うことがなかった。身体的健康状態とか申込状況による経済的心配などが中心課題とならないよう気をつけ続けたことはこの研修旅行へのふさわしい準備であったと思う。なぜならば、病院、ホスピスをはじめ、病んでいる方々とその家族や医療スタッフへの心・霊・魂のケアの場は、思う通りにならない現実の中で人生の目標を生き続けられるための「援助の場」でなければならないからである。
ホスピスとスピリチュアルケアのパイオニア
「心・霊・魂のケア」と「死に臨んでいる人々の心・霊・魂を含む全人的ケア」の実践は、こういうニーズに応えなければならないことを意識し、それに着手したパイオニアの成果である。 研修旅行で訪問させてもらった4か所の成人ホスピス、2か所の子供ホスピス、1か所の在宅ケアホスピス、2か所の緩和ケア病棟、患者への的確な心・霊・魂のケアの研修所を2か所、そのほとんどがそれぞれひとりの方のイニシアチブのおかげである。
- 心・霊・魂のケアの研修所は1923年にAnton Bois牧師が精神病者として受けた適切でない心・霊・魂のケアから生じたもの(ちなみに、臨床パストラル教育研究センターもその方のおかげである);
- 「死」は医療の敗北ではない~死は病気ではなく存在そのものの一部分である~と同時に、人間は最後まで生き、成長できる可能性をもっている存在であることを証明したE・キューブラー・ロス氏;
- 近代的ホスピスは死に臨んでいる人々に対する適切でない医療の改善を目指したC・ソンダース氏のおかげである。
この三人のパイオニア的なプロジェクトには個人の苦労、周囲の無理解の体験も充分含まれている。例えば、
- E・キューブラー・ロス氏は大学のスタッフからの援助や理解を得るどころか反対されたこと
- C・ソンダース氏は死に臨んでいる人に対する不適切な対応を看護師、ソーシャルワーカーとして体験し、それを医師(医療)に訴えても理解や改善を得られないことから30代で医学の道に入り医者となって、死に臨んでいる方々への痛みのコントロールを含む全人的ケアへの改善に励んだ。
このようにホスピスの存在は自然にできたものではなく、個人のイニシアチブや苦労、困難に屈しない使命感のおかげである。
前述したように、ドイツで訪問した成人と子供のホスピスおよび在宅ケアホスピスも個人のイニシアチブによって創立され、現在もほとんどがボランティアによって継続している。 例えば、
- ベルリンの成人ホスピスは3人の看護師で創立され、今日まで2500人の最期を看取ってきた。
- ベルリンに子供ホスピスが創立されたのは、創立者の一人息子が3歳で発病し7歳で死亡するまで、この間に子供と親に対する適切ではなかった医療を体験したことによる結果である。
- アウグスブルグの心・霊・魂の研修センターも一人のイニシアチブによる施設である。
ドイツのホスピスは死に臨んでいる方々とその家族、友人のニーズを意識したボランティアによって始まり、現在もボランティアによって運営が続いている。また法律によって年間のコストの1割は寄付で補うことになっている。*1
ボランティア
- ベルリンの子供ホスピスは、子供が重病を患うという体験をした母親がボランティアとして責任者代理を務めている。1990年代、この母親の次男は難治の病を患い、母親はその子を一生懸命世話した。同時に長男との関係は薄くなり、おまけに息子たちの関係も非常に悪化してしまった。どうしようもなくなり、母親は子供ホスピスに助けを求めると、「2週間、二人の子供だけ(母親なしで)バカンスの施設(子供ホスピス創立者のイニシアチブでできた)に送ってください」と勧められた。母親は心配しながら子供をその施設に送った。2週間の間、子供に電話をかけないように言われていたが、母親は3日目には施設に電話を入れた。そのとき長男が出て、「元気だよ。今、泳ぎに行くから時間がない」と言って電話を切ってしまった。母親は驚き、子供が元気いっぱいであることを信じられず、その後も施設に2回電話をかけたと言う。息子たちは親から離れたキャンプ場で自分たちのことを自分たちで全て行うことによって“自分自身”に戻り仲良くなった。この変化を体験した母親も元気になり進んで子供ホスピスの協力者になった。おかげで元気になった現在22歳の次男と26才の長男は、今この子供ホスピスのボランティアとして活躍している。*2
- ベルリン成人ホスピスでの40代の患者との出会いは印象深い。本人は6年前に脳腫瘍で余命6週間と告知され自ら進んでホスピスに入院した。その6週間は幸いにも今や6年間になり、その間、結婚し、そして二人の子供が生まれた。患者である父親は「ホスピスでは他の患者のニーズに出来る限り応える努力をしている。その目的は一人一人が自分でできることは自分でするように援助することだ」と説明してくれた。その時、ちょうど奥さんが二人の子供をつれて見舞いに来た。患者(父親)は「ホスピスの中で子供の声を聞くのは癒しだ」とも分かち合ってくれた。
ホスピスのインパクト
研修旅行のはじめから1週間の間、バスを運転してくれた運転手が印象に残っている。彼はずっと帽子をかぶり、口笛を吹いたり、歌を歌ったり、ナビゲーターと話しながら陽気に運転してくれた。狭い道やカーブをマスターしたとき、私たちは拍手した。ところが、私たちが初めてホスピスを訪問したとき、彼はバスに残り深く考えこんだ。「もう出られない家だ」とホスピスを名付け、人間が死ぬことを深く考えた。子供ホスピスを訪問したとき、彼の内面はさらに深く揺さぶられた。彼にとって、子供ホスピスの前でバスを停めることは内面的な負担になり、訪問後、私たちは昼食を食べに行ったが、彼は食事を食べられなかった。「どうして、子供は何も悪いことをしなかったのに。どうしてあなた方は子供ホスピスから出て、笑うことができ、食べに行けるのか」と動揺し伝えてくれた。
彼は私たちにサービスすることを惜しまず、一日8時間運転という契約も進んで延長してくれた。彼は仕事後、部屋に戻りテレビを見ず、客室に置かれている聖書の2~3頁を読み、それから寝るという習慣も言ってくれた。この運転手はわたしに内面的な刺激を与え、反省させてくれた。学ぶことや体験を重ねることは有意義ではあるが、一方で状況に対する慣れも生じさせる。敏感で豊かな感受性を育み保つことは難しい。
私の体験
バスの運転手から頂いたインパクトは貴重であり、同時に私自身の内面的な動きに考えさせられた。病気・病院は人生がスケジュール通りにならないことを証明してくれると分かっていながら、研修旅行中にスケジュール通りにならなかった事柄に対する自分の反応を意識し、反省した。例えば、
- 3日目の夜。私は疲れていたので早く寝ようとした。そのとき、ドアをノックした音が聞こえたのでドアを開けると、参加者の一人が悲しい調子で「すみません、自分の部屋の鍵を部屋の中に忘れてしまい入れない」と言われた。私は客室係がこの宿舎に住んでいないことを知っていて(どこに住んでいるかも知らなかった)すぐ嫌な気持ちになり、どうしようとパニック状態になってしまった。そんな状況の中、他の参加者の男性たちに同行してもらい責任者を探しに行ったとき、玄関脇のベルに気づき助けになりそうなベルを押してみた。応答してくれた方が適切なアドバイスを与えてくれた。男性4人で指示された所に向かいながら、私は「(自分は)バーカダナ アレルーヤ」と声を出して歌い、気持ち(心理状態)と心(内面的な状態)が平安・喜びの状態に戻ったことを体験した。
- 数日後の夕方、バスの運転手から「私は今日会社に戻ります。明日、他の会社のバスが来るはずです」と言われ、びっくりして「どうしょう!」と心の中で叫んだ。その後すぐ宿舎の受付でチェックインすると、2泊を頼んだつもりであったのに「一泊ですね」と言われ、続けてショックを受け、どうしようと困ってしまった。「(バスも宿泊も)明日どうしよう!」。幸い2泊の予約が取れ、明日のバスの運転手も分かったが、今度は今日の運転手の宿泊予約がないことに再び混乱してしまった。ようやくその問題も解決し、やっと落ち着きが戻った(!)。
- 旅行の最後の3日間は予約なく痛風が「同僚」になった。(旅行前にも2か月間痛風を患っていた。)痛風は不便であったが内面的な負担にはならず心は落ち着いていた。
思い通りにならない人生を生きている人々に内面的な(スピリチュアル)ケアをしたいと思うならば、まず自分の人生が思う通りにならない/ならなかった時やアクシデントに対する自身の反応を意識し見直すことによって、自身の内面的な状況=スピリチュアリティの強さ/弱さが明確になり、それを磨くチャンスにもなる。
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1: 訪問した4か所の成人ホスピスのうち2か所は寄付不足の場合、団体(教会や修道会)がそれを補う。
2: 母親とその二人の息子は私たちに自分のストーリーを分かち合ってくれた。
ウァルデマール・キッペス
日常生活の中で「お元気ですか」という挨拶は常套句である。それは決まり文句(無難な挨拶)として、相手の健康を思い遣りつつ、困難のない生活を願いつつなど、その時々、相手によっても込める思いは様々であろう。私個人はこの「お元気ですか」という挨拶があまり好きではない。身体的な健康は大切であるが、何のためにその健康があるか分からなければ私にとっては虚しい人生だ。私は生きる意味、目標を意識し、それを明確にさせてくれるような刺激となる挨拶が欲しい。日常会話においても理想的でない社会や政治に対する批判、身体的健康(一般論)よりも自分の人生の目標、それに向かって生きる個人的なコツ、自身の健康管理の具体例や経験、社会と政治に対する個人の理想、それを実現するための努力や協力、こういう事柄に関する会話を私は求めている。(例えば、私は福島原発について不平を言うことよりも、節電や節水の実践の仕方、資源の使い方についての意見交換に意義を感じ関心がある。)
病院は自ら好んで喜んで入るような場所ではない。言い換えれば、人生が思う通りにならないことを実感する場所でもある。だから病院は、身体だけではなく、心・霊・魂を含んだ全人的な人間像を求めて機能するような場所(存在)であってほしい。人間は機械のようなパーツの集合体ではなく、身体・心理/精神・心・霊・魂が深く影響し合う一体としての存在であることを人生の最期まで尊重して欲しいからである。
このような考えを持っていたので、ドイツの医療現場をみて参考に出来ることを得たいと思い、9月20日~10月2日まで「第16回 心と魂のケアとホスピス研修旅行」を実施した。従って、この旅行は医療における全人的ケアを学ぶために企画された。
研修旅行の準備は昨年末から始まったが、私の健康状態が悪化し1月に入院したため、本格的な準備は4月に入ってから始めた。当初、参加申し込みが思ったほどなくて、8月末の時点ではまだ研修旅行が実施できるかどうか危ぶまれた。私の健康状態もあまり思わしくなく計画も思う通りにはならないため心理的に不安な状態が続いたが、心の奥深くでは何とかなるだろうという確信があり、心と魂は煩うことがなかった。身体的健康状態とか申込状況による経済的心配などが中心課題とならないよう気をつけ続けたことはこの研修旅行へのふさわしい準備であったと思う。なぜならば、病院、ホスピスをはじめ、病んでいる方々とその家族や医療スタッフへの心・霊・魂のケアの場は、思う通りにならない現実の中で人生の目標を生き続けられるための「援助の場」でなければならないからである。
ホスピスとスピリチュアルケアのパイオニア
「心・霊・魂のケア」と「死に臨んでいる人々の心・霊・魂を含む全人的ケア」の実践は、こういうニーズに応えなければならないことを意識し、それに着手したパイオニアの成果である。 研修旅行で訪問させてもらった4か所の成人ホスピス、2か所の子供ホスピス、1か所の在宅ケアホスピス、2か所の緩和ケア病棟、患者への的確な心・霊・魂のケアの研修所を2か所、そのほとんどがそれぞれひとりの方のイニシアチブのおかげである。
- 心・霊・魂のケアの研修所は1923年にAnton Bois牧師が精神病者として受けた適切でない心・霊・魂のケアから生じたもの(ちなみに、臨床パストラル教育研究センターもその方のおかげである);
- 「死」は医療の敗北ではない~死は病気ではなく存在そのものの一部分である~と同時に、人間は最後まで生き、成長できる可能性をもっている存在であることを証明したE・キューブラー・ロス氏;
- 近代的ホスピスは死に臨んでいる人々に対する適切でない医療の改善を目指したC・ソンダース氏のおかげである。
この三人のパイオニア的なプロジェクトには個人の苦労、周囲の無理解の体験も充分含まれている。例えば、
- E・キューブラー・ロス氏は大学のスタッフからの援助や理解を得るどころか反対されたこと
- C・ソンダース氏は死に臨んでいる人に対する不適切な対応を看護師、ソーシャルワーカーとして体験し、それを医師(医療)に訴えても理解や改善を得られないことから30代で医学の道に入り医者となって、死に臨んでいる方々への痛みのコントロールを含む全人的ケアへの改善に励んだ。
このようにホスピスの存在は自然にできたものではなく、個人のイニシアチブや苦労、困難に屈しない使命感のおかげである。
前述したように、ドイツで訪問した成人と子供のホスピスおよび在宅ケアホスピスも個人のイニシアチブによって創立され、現在もほとんどがボランティアによって継続している。 例えば、
- ベルリンの成人ホスピスは3人の看護師で創立され、今日まで2500人の最期を看取ってきた。
- ベルリンに子供ホスピスが創立されたのは、創立者の一人息子が3歳で発病し7歳で死亡するまで、この間に子供と親に対する適切ではなかった医療を体験したことによる結果である。
- アウグスブルグの心・霊・魂の研修センターも一人のイニシアチブによる施設である。
ドイツのホスピスは死に臨んでいる方々とその家族、友人のニーズを意識したボランティアによって始まり、現在もボランティアによって運営が続いている。また法律によって年間のコストの1割は寄付で補うことになっている。*1
ボランティア
- ベルリンの子供ホスピスは、子供が重病を患うという体験をした母親がボランティアとして責任者代理を務めている。1990年代、この母親の次男は難治の病を患い、母親はその子を一生懸命世話した。同時に長男との関係は薄くなり、おまけに息子たちの関係も非常に悪化してしまった。どうしようもなくなり、母親は子供ホスピスに助けを求めると、「2週間、二人の子供だけ(母親なしで)バカンスの施設(子供ホスピス創立者のイニシアチブでできた)に送ってください」と勧められた。母親は心配しながら子供をその施設に送った。2週間の間、子供に電話をかけないように言われていたが、母親は3日目には施設に電話を入れた。そのとき長男が出て、「元気だよ。今、泳ぎに行くから時間がない」と言って電話を切ってしまった。母親は驚き、子供が元気いっぱいであることを信じられず、その後も施設に2回電話をかけたと言う。息子たちは親から離れたキャンプ場で自分たちのことを自分たちで全て行うことによって“自分自身”に戻り仲良くなった。この変化を体験した母親も元気になり進んで子供ホスピスの協力者になった。おかげで元気になった現在22歳の次男と26才の長男は、今この子供ホスピスのボランティアとして活躍している。*2
- ベルリン成人ホスピスでの40代の患者との出会いは印象深い。本人は6年前に脳腫瘍で余命6週間と告知され自ら進んでホスピスに入院した。その6週間は幸いにも今や6年間になり、その間、結婚し、そして二人の子供が生まれた。患者である父親は「ホスピスでは他の患者のニーズに出来る限り応える努力をしている。その目的は一人一人が自分でできることは自分でするように援助することだ」と説明してくれた。その時、ちょうど奥さんが二人の子供をつれて見舞いに来た。患者(父親)は「ホスピスの中で子供の声を聞くのは癒しだ」とも分かち合ってくれた。
ホスピスのインパクト
研修旅行のはじめから1週間の間、バスを運転してくれた運転手が印象に残っている。彼はずっと帽子をかぶり、口笛を吹いたり、歌を歌ったり、ナビゲーターと話しながら陽気に運転してくれた。狭い道やカーブをマスターしたとき、私たちは拍手した。ところが、私たちが初めてホスピスを訪問したとき、彼はバスに残り深く考えこんだ。「もう出られない家だ」とホスピスを名付け、人間が死ぬことを深く考えた。子供ホスピスを訪問したとき、彼の内面はさらに深く揺さぶられた。彼にとって、子供ホスピスの前でバスを停めることは内面的な負担になり、訪問後、私たちは昼食を食べに行ったが、彼は食事を食べられなかった。「どうして、子供は何も悪いことをしなかったのに。どうしてあなた方は子供ホスピスから出て、笑うことができ、食べに行けるのか」と動揺し伝えてくれた。
彼は私たちにサービスすることを惜しまず、一日8時間運転という契約も進んで延長してくれた。彼は仕事後、部屋に戻りテレビを見ず、客室に置かれている聖書の2~3頁を読み、それから寝るという習慣も言ってくれた。この運転手はわたしに内面的な刺激を与え、反省させてくれた。学ぶことや体験を重ねることは有意義ではあるが、一方で状況に対する慣れも生じさせる。敏感で豊かな感受性を育み保つことは難しい。
私の体験
バスの運転手から頂いたインパクトは貴重であり、同時に私自身の内面的な動きに考えさせられた。病気・病院は人生がスケジュール通りにならないことを証明してくれると分かっていながら、研修旅行中にスケジュール通りにならなかった事柄に対する自分の反応を意識し、反省した。例えば、
- 3日目の夜。私は疲れていたので早く寝ようとした。そのとき、ドアをノックした音が聞こえたのでドアを開けると、参加者の一人が悲しい調子で「すみません、自分の部屋の鍵を部屋の中に忘れてしまい入れない」と言われた。私は客室係がこの宿舎に住んでいないことを知っていて(どこに住んでいるかも知らなかった)すぐ嫌な気持ちになり、どうしようとパニック状態になってしまった。そんな状況の中、他の参加者の男性たちに同行してもらい責任者を探しに行ったとき、玄関脇のベルに気づき助けになりそうなベルを押してみた。応答してくれた方が適切なアドバイスを与えてくれた。男性4人で指示された所に向かいながら、私は「(自分は)バーカダナ アレルーヤ」と声を出して歌い、気持ち(心理状態)と心(内面的な状態)が平安・喜びの状態に戻ったことを体験した。
- 数日後の夕方、バスの運転手から「私は今日会社に戻ります。明日、他の会社のバスが来るはずです」と言われ、びっくりして「どうしょう!」と心の中で叫んだ。その後すぐ宿舎の受付でチェックインすると、2泊を頼んだつもりであったのに「一泊ですね」と言われ、続けてショックを受け、どうしようと困ってしまった。「(バスも宿泊も)明日どうしよう!」。幸い2泊の予約が取れ、明日のバスの運転手も分かったが、今度は今日の運転手の宿泊予約がないことに再び混乱してしまった。ようやくその問題も解決し、やっと落ち着きが戻った(!)。
- 旅行の最後の3日間は予約なく痛風が「同僚」になった。(旅行前にも2か月間痛風を患っていた。)痛風は不便であったが内面的な負担にはならず心は落ち着いていた。
思い通りにならない人生を生きている人々に内面的な(スピリチュアル)ケアをしたいと思うならば、まず自分の人生が思う通りにならない/ならなかった時やアクシデントに対する自身の反応を意識し見直すことによって、自身の内面的な状況=スピリチュアリティの強さ/弱さが明確になり、それを磨くチャンスにもなる。
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1: 訪問した4か所の成人ホスピスのうち2か所は寄付不足の場合、団体(教会や修道会)がそれを補う。
2: 母親とその二人の息子は私たちに自分のストーリーを分かち合ってくれた。
by pastoralcare-jp
| 2013-10-23 11:36
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