2013年 02月 06日
社会のニーズ : 心ある人が求められている |
<年頭所感>

◆ ある出来事で感じた心の癒し
昨年12月、聖母病院での研修会を終え、滞在先のホテルに戻ったところで財布がないことに気が付いた。まずタクシーで研修会場にもどったが、鍵のために苦労し、会場に入っても見つけられなかった。そこで再びタクシーでホテルに向かう車中思い巡らし、今度は立ち寄ったコンビニエンスストアに行き、確認したがそこにもなかった。途方に暮れて歩いていると若い警察官が私を追いかけて来て「なにか落とし物をしませんでしたか?」と声を掛けた。私は「はい。財布を落としました。」と答えると、その警察官は私の前に私の財布を差し出した。少し前にある方が歩道に落ちていた財布を見つけ届けて下さったとのことだった。その方は、お礼は要らないと自分の名前を告げずに立ち去ったと言う。その後、中身を確認した警察官が目の前を通りかかった私の顔が身分証明書の写真と似ていたので声を掛けて下さったという経緯だった。私は大変な驚きと感謝、そして財布を見つけて下さった方はもちろん、その後の小さな偶然(タクシーがコンビニエンスストアの手前で停車したこと、警察官が顔を覚えていて下さったこと)に不思議な繋がりを感じた。
夕暮れ時、人通りの多い場所で財布を拾い、それを届けて下さった心ある方に感謝し、同時に日本全体に対するイメージの改善にもなった体験に感謝した。
時間外に会場に入らせてくれた方々の親切心、財布(現金、クレジットカード、外人登録証、運転免許証)を見つけ届けて下さった方の正義と思いやり、警察官の観察眼は私に対する心のケアだった。
◆ 心の要求 クリスマスと初詣
クリスチャンでない人にとって、クリスマスはイエス・キリストとその誕生を記念する時ではなく、家族や友人、人間同士の絆を再確認する時のように思われる。一方、神社への初詣は心理よりも心の要求に応える行為のようである。初詣は一般のクリスマスに見られるような今生きている人間同士の集いではなく、自身のルーツと神聖な絆を感ずる時かも知れない。クリスマスの中心は心理であり、正月の中心~少なくともそのスタートである初詣~は、内面的いわばスピリチュアルな要素、心のエンパワーメントとして考えられる。
1月1日早朝のインターネットニュースによると初詣の人出が全国で最も多い東京・渋谷区の明治神宮では、日付が変わる数時間前から大勢の人たちで参道に長い列ができたという。家族4人で参拝に来たという中学1年生の男子は「今年はいい出会いがあることを願っている。しっかり勉強していい成績をとって親孝行をしたい」また、64歳の男性は「先が見えない世の中なのでとにかく動いてみて、何かをやってみたい。前進あるのみです」と話していた。
2013年、初詣に行ったかどうか数人の知人に<初詣で感じたことや心境の変化など>を尋ねた。
1.初詣はいつも家族皆で行くことにしています。前年にいくら家族の中で上手くいかないことがあったとしても、初詣の瞬間、お互いのことを思いやれる時間を共有できていることに気がつける。心が“しん”とする瞬間。(女)
2.基本的には初詣には行かない。行くとすれば、何かを得ようとして行くのではなく、行こうという気持ち、またはどういう気持ちで行くのかが大事。ちなみにおみくじもどんな結果であれ、どう受け取るかだと思う。(男)
3.新鮮な気持ちになれた。家族の健康を願った。(女)
4.少し気が晴れやかになる。今年も一年頑張るか!という気持ちになった。(女)
5.ホコリが払われて清められたような気がする。(男)
6.自分にとって拠り所。行く前と後では気持ちが全然違う。(女)
これらの回答から、初詣は浄化(心の中をきよめる)-カタルシス、または心のリニューアルによって自分を活かすもの(例:家族、健康)とのつながりを再確認する/させてもらえる時であると思われる。初詣で祈願することは身体的、心理的な要求よりも心の内から自然と湧いてくることのようである。
◆ 自分にとって臨床パストラルケアとは
多くの人にとって、初詣は心の一新を体験させてくれるようだ。それによって心の存在とそのニーズ、いのちの起源とそれに対する感謝および生きる意味いわばスピリチュアルな事柄を多少なりとも意識させられるようである。年の始めに神前に願う健康は病院で願う健康と異なっており、生きる意味、使命(vocation)、具体的な役目(mission)とそれに伴う未来像、ビジョンなどが念頭に浮かぶ。そこでこの年始を、再度自分にとって臨床パストラルケアとは?と考える機会にしたらよいと思う。
「あなたはなぜ臨床パストラルケアを追求しているのでしょうか」と尋ねられたらどう応答するだろうか。例えば、私はこうである。「私は人間として、身体、心理(精神)だけの単純な存在ではありません。私を活かすもの、縛るものはこれらの要素だけではなく、また、私の生きる目標は身体や心理からは生じてきません。私にとって生きる目標は、考えた結果ではなく与えられたものです。それはどこから与えられたかというと、私がこれまで信じてきたイエス・キリストです。
一人一人の存在に目標と使命があると信じます。生きる目標の起因は人それぞれです。これらを尊重し、各自が目標に向かって生きられるために必要な援助の提供が私にとって臨床パストラルケアの目的と意義です。“人間にはいのちを活かすスピリット(パワー)が内在している”これが臨床パストラルケアの根幹であり存在理由です。」皆さんもご自分で答えてみてください。
◆ 日々、心のケアを必要としている人がいる
臨床パストラルケアの現場は病院だけではない。心のケアは日々、様々な場面で要求されている。 私は心のケアを必要とされる次のような例に出会った。
・「死にたい。もう限界です。この先、どうして良いか全くわからない。…力つきました。この先、生きていく道はあるでしょうか?あったら教えてください。もう自力では、一歩も前へ進めません。死にたい。」(昨年半ばに届いたEメール)
・「私は非常に悲しんでいます・・と言うのは、3人いる子供とのコンタクトが全然ないのです。」知り合いからこのような電話があった。この母親が娘に「クリスマスだからこれを機に関係を新しくしましょう」と提案し続けてこう言った「あなたはキリスト信者です。わたしを許してください」と。それに対して娘は「謝らなければ許しません」と返した。後日、母親は手紙で謝ったが、それを読んだ娘は「反省が足らない」と返事をした。娘と和解できない母親は非常に悲しんでいた。こうした状態は変えられないが、関心をもって耳を傾けることは出来る。
人間は生きる力と目的を必要とし、自分を認め、理解し、許してもらうこと、つまり心の力の増強や癒しを求めて、スピリチュアルケアを願っている。内面的なケア=相手を活かすことは、医療の現場だけではなく、日常において必要とされ、日々実践可能な行為である。そして、日常でのスピリチュアルケアの実践は患者訪問、特に重病者との出会いにおいて心の力を呼び起こし、内面的な援助へと繋がると思う。
◆ センター会員と心のケアを目指している皆様に
以下は、先日Eメールとツィッターで送ったメッセージである。
新しい年に入らせてもらい、皆様にご挨拶とお願いを申し上げます。
心のケアの大切さを感じ、それを育むことに力を注いでくださっていることに感謝しています。
年始のこの時期に改めて心を合わせたいのです。今年は昨年と同様なものではありません。よい方に変わる/変えられるチャンスとチャレンジを含む新しい出発です。出発に際して、例えば12月、政権を任せてもらった方々に、「どうせ変わらないだろう」という悲観的な心は、自分自身や周囲を悪化させる起因になりやすい。彼らへのわたしたち皆の心からの応援、援助が必要です。
臨床パストラルケア=スピリチュアルケアを公で理解してもらえなくても、わたしたち一人一人が前向きな心・信念を持ち続けるならば、わたしたちをはじめ、周囲も少しずつよい方向に変わってくるに違いないでしょう。社会は、聞いてくれる耳、信頼と尊敬をもった目、知らない人であっても助けを必要とする人に自発的に手を差し出す人を必要としています。それは社会をグレードアップする尊い力です。臨床パストラルケアは毎日要求されています。
皆様と力をあわせて歩めますように期待します。
◆ 活動中プラス思考を保つこと
上手くいかない時、理解してもらえない時にはネガティブな考え方や行動になりやすい。その傾向を自分自身で意識することが大切である。以下に日常会話で自他を滅ぼし得る言葉の例を挙げる。
「運が悪かった」「無理」「できません」「どうせ~」「生まれつき(DNA)」「仕方がない」「大変ですね」「もう歳だから」「(言い過ぎる)頑張りなさい」「我慢しなさい」「忘れたほうが良い」「一生懸命やればできる」「世の中はこういうものです」「あなただけじゃない」など。
上述した私からの年始メールに対して、一人の会員から届いた返事を紹介したい。
件名:「メールに元気をもらいました。」
…メールに元気をもらいました。新しい年に恵まれても、周りは難しい問題がいっぱいで、自分の力は小さく、あきらめの心が広がっていました。でも…メールで臨床パストラル・カウンセラーに資格認定していただいた者の責任を思い出させていただきました。どんなに自分の力が小さくても諦めず、この新しい年に自分の心の深みに耳を傾けながら、一歩一歩真実に歩んでいきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
◆ チャンスとチャレンジに生きよう
「今」という時に、訪れてくるチャンスは一度である。今日という日は二度とは来ない。難しい事柄から逃げようとすれば弱くなる。スポーツで言うならば、自分やチームが強くなり、上に行けば行くほど相手も強くなっていく。そして、相手が強くなることでさらに鍛えられる。臨床パストラルケア=スピリチュアルケアは自分自身を強め、自分自身として生きるチャンスとチャレンジでもある。
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1: ウァルデマール・キッペス著 「心の力を活かすスピリチュアルケア」 弓箭書院 2012年 82頁

ウァルデマール・キッペス
◆ ある出来事で感じた心の癒し
昨年12月、聖母病院での研修会を終え、滞在先のホテルに戻ったところで財布がないことに気が付いた。まずタクシーで研修会場にもどったが、鍵のために苦労し、会場に入っても見つけられなかった。そこで再びタクシーでホテルに向かう車中思い巡らし、今度は立ち寄ったコンビニエンスストアに行き、確認したがそこにもなかった。途方に暮れて歩いていると若い警察官が私を追いかけて来て「なにか落とし物をしませんでしたか?」と声を掛けた。私は「はい。財布を落としました。」と答えると、その警察官は私の前に私の財布を差し出した。少し前にある方が歩道に落ちていた財布を見つけ届けて下さったとのことだった。その方は、お礼は要らないと自分の名前を告げずに立ち去ったと言う。その後、中身を確認した警察官が目の前を通りかかった私の顔が身分証明書の写真と似ていたので声を掛けて下さったという経緯だった。私は大変な驚きと感謝、そして財布を見つけて下さった方はもちろん、その後の小さな偶然(タクシーがコンビニエンスストアの手前で停車したこと、警察官が顔を覚えていて下さったこと)に不思議な繋がりを感じた。
夕暮れ時、人通りの多い場所で財布を拾い、それを届けて下さった心ある方に感謝し、同時に日本全体に対するイメージの改善にもなった体験に感謝した。
時間外に会場に入らせてくれた方々の親切心、財布(現金、クレジットカード、外人登録証、運転免許証)を見つけ届けて下さった方の正義と思いやり、警察官の観察眼は私に対する心のケアだった。
◆ 心の要求 クリスマスと初詣
クリスチャンでない人にとって、クリスマスはイエス・キリストとその誕生を記念する時ではなく、家族や友人、人間同士の絆を再確認する時のように思われる。一方、神社への初詣は心理よりも心の要求に応える行為のようである。初詣は一般のクリスマスに見られるような今生きている人間同士の集いではなく、自身のルーツと神聖な絆を感ずる時かも知れない。クリスマスの中心は心理であり、正月の中心~少なくともそのスタートである初詣~は、内面的いわばスピリチュアルな要素、心のエンパワーメントとして考えられる。
1月1日早朝のインターネットニュースによると初詣の人出が全国で最も多い東京・渋谷区の明治神宮では、日付が変わる数時間前から大勢の人たちで参道に長い列ができたという。家族4人で参拝に来たという中学1年生の男子は「今年はいい出会いがあることを願っている。しっかり勉強していい成績をとって親孝行をしたい」また、64歳の男性は「先が見えない世の中なのでとにかく動いてみて、何かをやってみたい。前進あるのみです」と話していた。
2013年、初詣に行ったかどうか数人の知人に<初詣で感じたことや心境の変化など>を尋ねた。
1.初詣はいつも家族皆で行くことにしています。前年にいくら家族の中で上手くいかないことがあったとしても、初詣の瞬間、お互いのことを思いやれる時間を共有できていることに気がつける。心が“しん”とする瞬間。(女)
2.基本的には初詣には行かない。行くとすれば、何かを得ようとして行くのではなく、行こうという気持ち、またはどういう気持ちで行くのかが大事。ちなみにおみくじもどんな結果であれ、どう受け取るかだと思う。(男)
3.新鮮な気持ちになれた。家族の健康を願った。(女)
4.少し気が晴れやかになる。今年も一年頑張るか!という気持ちになった。(女)
5.ホコリが払われて清められたような気がする。(男)
6.自分にとって拠り所。行く前と後では気持ちが全然違う。(女)
これらの回答から、初詣は浄化(心の中をきよめる)-カタルシス、または心のリニューアルによって自分を活かすもの(例:家族、健康)とのつながりを再確認する/させてもらえる時であると思われる。初詣で祈願することは身体的、心理的な要求よりも心の内から自然と湧いてくることのようである。
◆ 自分にとって臨床パストラルケアとは
多くの人にとって、初詣は心の一新を体験させてくれるようだ。それによって心の存在とそのニーズ、いのちの起源とそれに対する感謝および生きる意味いわばスピリチュアルな事柄を多少なりとも意識させられるようである。年の始めに神前に願う健康は病院で願う健康と異なっており、生きる意味、使命(vocation)、具体的な役目(mission)とそれに伴う未来像、ビジョンなどが念頭に浮かぶ。そこでこの年始を、再度自分にとって臨床パストラルケアとは?と考える機会にしたらよいと思う。
「あなたはなぜ臨床パストラルケアを追求しているのでしょうか」と尋ねられたらどう応答するだろうか。例えば、私はこうである。「私は人間として、身体、心理(精神)だけの単純な存在ではありません。私を活かすもの、縛るものはこれらの要素だけではなく、また、私の生きる目標は身体や心理からは生じてきません。私にとって生きる目標は、考えた結果ではなく与えられたものです。それはどこから与えられたかというと、私がこれまで信じてきたイエス・キリストです。
一人一人の存在に目標と使命があると信じます。生きる目標の起因は人それぞれです。これらを尊重し、各自が目標に向かって生きられるために必要な援助の提供が私にとって臨床パストラルケアの目的と意義です。“人間にはいのちを活かすスピリット(パワー)が内在している”これが臨床パストラルケアの根幹であり存在理由です。」皆さんもご自分で答えてみてください。
◆ 日々、心のケアを必要としている人がいる
臨床パストラルケアの現場は病院だけではない。心のケアは日々、様々な場面で要求されている。 私は心のケアを必要とされる次のような例に出会った。
・「死にたい。もう限界です。この先、どうして良いか全くわからない。…力つきました。この先、生きていく道はあるでしょうか?あったら教えてください。もう自力では、一歩も前へ進めません。死にたい。」(昨年半ばに届いたEメール)
・「私は非常に悲しんでいます・・と言うのは、3人いる子供とのコンタクトが全然ないのです。」知り合いからこのような電話があった。この母親が娘に「クリスマスだからこれを機に関係を新しくしましょう」と提案し続けてこう言った「あなたはキリスト信者です。わたしを許してください」と。それに対して娘は「謝らなければ許しません」と返した。後日、母親は手紙で謝ったが、それを読んだ娘は「反省が足らない」と返事をした。娘と和解できない母親は非常に悲しんでいた。こうした状態は変えられないが、関心をもって耳を傾けることは出来る。
人間は生きる力と目的を必要とし、自分を認め、理解し、許してもらうこと、つまり心の力の増強や癒しを求めて、スピリチュアルケアを願っている。内面的なケア=相手を活かすことは、医療の現場だけではなく、日常において必要とされ、日々実践可能な行為である。そして、日常でのスピリチュアルケアの実践は患者訪問、特に重病者との出会いにおいて心の力を呼び起こし、内面的な援助へと繋がると思う。
◆ センター会員と心のケアを目指している皆様に
以下は、先日Eメールとツィッターで送ったメッセージである。
新しい年に入らせてもらい、皆様にご挨拶とお願いを申し上げます。
心のケアの大切さを感じ、それを育むことに力を注いでくださっていることに感謝しています。
年始のこの時期に改めて心を合わせたいのです。今年は昨年と同様なものではありません。よい方に変わる/変えられるチャンスとチャレンジを含む新しい出発です。出発に際して、例えば12月、政権を任せてもらった方々に、「どうせ変わらないだろう」という悲観的な心は、自分自身や周囲を悪化させる起因になりやすい。彼らへのわたしたち皆の心からの応援、援助が必要です。
臨床パストラルケア=スピリチュアルケアを公で理解してもらえなくても、わたしたち一人一人が前向きな心・信念を持ち続けるならば、わたしたちをはじめ、周囲も少しずつよい方向に変わってくるに違いないでしょう。社会は、聞いてくれる耳、信頼と尊敬をもった目、知らない人であっても助けを必要とする人に自発的に手を差し出す人を必要としています。それは社会をグレードアップする尊い力です。臨床パストラルケアは毎日要求されています。
皆様と力をあわせて歩めますように期待します。
◆ 活動中プラス思考を保つこと
上手くいかない時、理解してもらえない時にはネガティブな考え方や行動になりやすい。その傾向を自分自身で意識することが大切である。以下に日常会話で自他を滅ぼし得る言葉の例を挙げる。
「運が悪かった」「無理」「できません」「どうせ~」「生まれつき(DNA)」「仕方がない」「大変ですね」「もう歳だから」「(言い過ぎる)頑張りなさい」「我慢しなさい」「忘れたほうが良い」「一生懸命やればできる」「世の中はこういうものです」「あなただけじゃない」など。
上述した私からの年始メールに対して、一人の会員から届いた返事を紹介したい。
件名:「メールに元気をもらいました。」
…メールに元気をもらいました。新しい年に恵まれても、周りは難しい問題がいっぱいで、自分の力は小さく、あきらめの心が広がっていました。でも…メールで臨床パストラル・カウンセラーに資格認定していただいた者の責任を思い出させていただきました。どんなに自分の力が小さくても諦めず、この新しい年に自分の心の深みに耳を傾けながら、一歩一歩真実に歩んでいきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
◆ チャンスとチャレンジに生きよう
「今」という時に、訪れてくるチャンスは一度である。今日という日は二度とは来ない。難しい事柄から逃げようとすれば弱くなる。スポーツで言うならば、自分やチームが強くなり、上に行けば行くほど相手も強くなっていく。そして、相手が強くなることでさらに鍛えられる。臨床パストラルケア=スピリチュアルケアは自分自身を強め、自分自身として生きるチャンスとチャレンジでもある。
~自他の内面性を活かすために生きるのは尊い~
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1: ウァルデマール・キッペス著 「心の力を活かすスピリチュアルケア」 弓箭書院 2012年 82頁
by pastoralcare-jp
| 2013-02-06 11:08
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