2012年 01月 30日
スピリチュアルケア誌54号 2012年1月 |
※年頭所感
叫びに気づく : わたしたちのチャレンジ・出番
プロローグ
「自他の心と魂を育む協力者各位
チャレンジの多かった2011年、最後の日にあたり皆様に感謝のことばを一言申し上げたいのです。特に東北の震災と人災による苦難を背負っている方々、東北の皆様との連帯感をもって東北に出かけてご協力されている方々に『ありがとう』をお伝えしたいのです。
失ったことを元の通りにはできませんが、今の状況を積極的に生きられる力と勇気がありますように希望し、期待しています。
2012年、いつ、どういうハプニングがあるかは誰にも分かりませんが、互いに心を合わせることができます。 『自分しかできないこと』を活かすことは、社会や世界の心のリニューアルのために、なくてはならないことでしょう。ご自分なりに心と魂の大切さを社会に意識化してくださいますように願いつつ--」
以上は2011年末にセンター会員にe-mailで送ったメッセージである。
昨年のお正月は「明けましておめでとう」という挨拶を多くの人々が交わしたことだろう。だが、希望した「明るさ」は2ヶ月ちょっとしか続かなかった。3月11日を境にして少なくとも東北の人々にとっては想像した明るい年ではなかったであろう。多くの人々は予想し得ないほどに変えられた状況の中で、今年のお正月を迎えたのではないだろうか。そんな中で「明けましておめでとう」という挨拶を交わしたかどうかは分からない。しかし東北の人々がどのように暮らしているかよりも、どのように生きているのか、いわば今の状況を生きる力とは何であるかを探り、たとえわずかであってもそれを育んでいくことを手伝うことができれば良いと思う。
① 叫びを聴き、それに応えること
・一人の患者の訴え
「患者の権利として、患者の立場に立ったケアという面からもパストラルケア(=スピリチュアルケア *1)を考えて欲しい。…病院は患者のためにあるのではなく、医療関係者の利便のためにある。…私は、日本の病院の現状が治療や、癒しを与える場ではなく病人を作る場になっているのでは、と医師や看護師に訴えました」という、このe-mailの発信者は、がんの大手術の体験者。
この訴えはわたしたちセンターへの注文でもある。自分の生き方を通して、医療界に心と魂の育成の大切さと有益さを伝達していくように、という課題を提起している。
・医師の叫び
-自然科学の限界
昨年10月、福島県立医科大学救命救急センターの若い医師に初めて出会ったときのことが強く印象に残った。彼は全身をふるわせて叫んだ。「これは自然科学の限界だ。どうしよう。哲学の勉強を始めました」。医師としての心、自身の全体を生かすスピリットへの願いと叫びをこのように聞いたのは初めてであった。 スピリットに生かされているスピリチュアル・ケアワーカーは、わずかであってもその存在を通して医師を援助できる。自らを生かすことのできるスピリットを、今こそわたしたちが証明するときだ。
ちなみに、昨年秋、2012年度の臨床パストラル教育研究センター全国大会の講演者としてこの医師を薦めると「来年(今年)の6月には福島のことは公(世間)ではもう忘れられている」と言われ、私はショックだった。衝撃的な震災と人災による心の傷が、わずか一年余りで消えると思うのはグリーフの深さ=心の痛みを理解していないのではないか。
-患者のアフターケア
昨年4月札幌で、肝臓移植で著名な医師、藤堂省教授に初めて出会った。彼はアメリカのピッツバーグPittsburg大学で肝臓移植の教授としてめざましい活動をし、その後北海道大学に呼ばれて肝臓移植専門教授として活躍してきた。藤堂氏は「アメリカでは肝臓のドナーとその家族およびレシーバー(移植を受ける人)へのアフターケアはチャプレンがしました。日本ではこういう制度がない。臨床心理士は週に1回勤務することになりましたが、臨床パストラル・ケアワーカーが必要です。そのためにはまず『医者のネットワーク』をつくるとよいでしょう」と力強く訴えられた。ここでも自然科学の限界が見える・・・。
自然科学のみの教育を通して医師になったほとんどの者は心と魂の存在を認めにくい、というよりもその領域を体験していないために認識しにくいと言えよう。そのためにはその領域を意識し、少しでも体験している医師を見つけ、「医者のネット」を繋げていくような呼びかけが必要であろう。まずセンター会員の医師をはじめとして、一人でも多くの医師に働きかけることが今後の課題となる。
・生きる力への叫び
-自死:周囲が気付けなかった叫び
50代の奥さんは仮設住宅から海に入水、親を震災で失った10代の男性は親の遺骨をもって海に飛び込んだ。昨年の10月から12月の三ヶ月の間に、40代の二人の男性の自死(二人とも身体的な病気はなかった)の知らせがあった。出張中の12月、東京の山手線では2回も人身事故で電車が動かなくなった。車内の電光掲示板には「人身事故」が頻繁に流れているが、何の影響も受けていないかのような乗客の様子にわたしは驚いていた。もう慣れているのだろうか。彼らの叫びに誰か気付くことがあっただろうか。
-教育「生きる根本、命の源泉を考える/教え(られ)ない」私の叫び
私は昨年10月、ある小学校で4~6年生とその保護者に講演させてもらった。この小学校は少人数でアットホームであるが、中学は近隣校から生徒が集まるため大人数になり、さまざまな問題(例:自分の意見が言えない)が起きることが予想される。そのために力になることを教えて欲しいと言われたので、「あなたが大切 Only One」をテーマにして「自分しかできない」ことを生徒に書いてもらい、それを考えてもらった。だが「命の源」について話すことは制限されていたために悩んでいた。“親に対する感謝”は取り扱えても、母子家庭や親のいない子供もいるので簡単ではなかった。(前もって尋ねると、10人の母子家庭と母親がいない生徒がいた。)「命の源」は母親でも祖母や曾祖母でもない。命自体は授けられたもの(プレゼント)であり、人間が造ったものではない。ところがこうしたことを公立小学校で教えるなら、すぐに宗教ではないかと言われる。すると子供は生きるための根本的な事柄に触れることなく、生きるベースを知ることもない。
自死の多くの原因が生命の源への理解不足から生じるものではなくても、自死へ与える影響力は重大なものである。これこそが私の叫び。 命の源、生きる力、生きる意味と目標は人生の中心課題である。われわれはそれを意識し、生き方によって周囲に証しすることが大切である。日常において最も意義のある課題だと思う。
② 叫びに対する応答
・ 社会全体としての課題
マスメディアは社会の価値観を反映している。例えば、年末年始の朝日新聞のトップページには次のような見出しが見られた。
「ユーロ一時100円割れ ~10年半ぶり再安価~」(2011年末)、
「原子力安全委側に8500万円 ~06~10年度24人、業界から寄付」(2012年元旦)。
このような経済に関する出来事は大切であっても、人生における心の叫び、いわば生きる源、意味や目標への援助としては限られた価値しか持たないと思われる。例えば、昨年、自死した有名人(作詞家、漫画家、会社社長、政治家、元プロ野球選手、ミュージシャンやアイドル/タレント)*2 は15人ということだが、おそらく、これらの人々にとって経済問題は中心課題ではなかったと思う。そのためには、社会が生きる源、生きる目的、生きる意味などを意識化し、教育に反映させていくことをわれわれは働きかける必要がある。
・スピリチュアル・ケアワーカーの課題
自分の人生を希望どおりに変えることはできない。まして地震や津波などの自然災害を人間が支配できないために人間は窮地に陥る。しかし人間のこの無力さが人間社会の中心課題として取り扱われることはなかった。人間は無力であり万能ではない事実を認めて、人生を積極的に(可能な範囲内で)生きるためには、このことこそ経済問題などよりは中心的課題であると理解すべきである。
また、同じ元旦のトップページに「『リスク社会に生きる 迷いながら 去る人 残る人』つまり『放射線への不安からドイツに逃げた親子と、故郷への思いを断ち切れず福島で暮らす人々。去るも残るもリスクを抱える。人々は迷い、ぶつかり、自らの道を探す』」という記事も載っていた。これは、生きることはお金だけでは解決できないという心の叫び、自分自身を生きることへの欲求を表しているのではないだろうか。リスクを生きるかどうかは個人の選択の問題である。大自然の状況を理解するには、自然科学者の知識を聞いて個々に判断を下すほかはない。しかしそのとき、聴く耳をもち、共に考え、現実を弁えるための信頼できる同僚が欲しい。その同僚とはアドバイスをする“先生”ではなく、選択する過程で必要に応じて相手の自己決定を助けるようなスピリチュアル・ケアワーカーである。
スピリチュアル・ケアワーカー自身は、根本的な課題である生きる源、生きる意味とその目標を日常の生き方の中で常に追求する者でなくてはならない。
・何によって生き、
・なぜ生き、
・何に向かって生きているのか。
これら三つの課題に対する答えを、スピリチュアル・ケアワーカーが意識的に生きる中で得ようと努力する英知や知恵は、ケアするためのベースになる。そのとき、最終的には一人ひとりは自分の能力に応じてその三つの課題への答えを体験に基づいて得るほかないが、その課題を追求するとき、同僚の存在は支えとなる。 だが、学ぶこと即ち自分で考えることは、他者への依存ではなく独学すべきものであることを忘れてはならないだろう。
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1: 筆者としての解釈
2: http://ja.wikipedia.org/wiki/
年頭所感で述べたような日本の現状に鑑み、当センターのビジョンを再確認したい。
1)センターのビジョン
-相互に尊敬し合い、心身ともに成長すること
社会にスピリチュアルケアを提供するには、わたしたちが互いに尊敬し合うことが基本となる。そして相互のタレントを認め合い、活かすことが大切である。例えば、誰でもが患者訪問をできるとは限らない。だが、患者訪問をできる人を援助し、励まし、肯定し、活かし合うことはできる。また、訪問できる人もそれを可能にしてくれる人に対して感謝して接することによってセンターは多様性のある一つの有機体になる。当センターが社会において「生きるモデル」になることを目指したい。
-癒し主 イエス
センターの中心思想である「癒し主 イエス」は他者からの厳しい体験によって心が堅くなった者ではなく、他者を受け止めてゆるす者である。イエスはアイコンタクトによって、相手に「あなたは欠点があっても価値のある人間だ」ということを理解させることができた。これは癒しである。
ちなみに何かの病気を治してもらった人が必ずしも癒されてはおらず、逆に病気やハンディーを患っていても癒された人がいることを理解すべきである。「病気を治してもらうこと」と「癒されること」とは異なっているのである。
2)このビジョンを踏まえてセンターの今後の活動
-認定者の活動と生活の保証
センターにとって以前から重要な課題になっていることは、認定者の活動の場所を確保し生活の保証が得られるように援助することである。認定者自らが得た資格を自発的に活かし活動の場を見いだすように奨めると同時に、センターとしても認定者が活きる場を獲得できるように社会に働きかけることが重要である。 この点について一つの意義ある動きとして、センターが昨年「日本スピリチュアルケア学会」の賛助会員になったことが挙げられる。 当センターを含めたいくつかのスピリチュアルケア教育研修機関(組織)がスピリチュアル・ケアワーカーの資格認定制度について話合い、学会を中心にしてある程度日本での統一基準のようなものができないかという議論が開始された。これはただ認定制度だけに関わることではなく、今まではセンターがいわば単独で社会に対していろいろ働きかけていたのだが、今後はスピリチュアルケア学会を中心にして各機関が協力することによって社会への働きけが更に強力なものになることが期待される。
-研修病院の増設
現在5つの研修病院がある。このために年間に開催できる研修会の頻度に限りがある。受け入れて下さる病院を増やすことが急を要する課題である。 この為には5日間研修会のできる病院ばかりではなく、研修生が単独で患者訪問することを許可して下さる病院をも開拓していく必要がある。 現在、いくつかの病院(鹿児島、札幌など)と交渉中である。
-医者のネット
年頭所感でも触れたように、「スピリチュアルケアに関する医者のネットワーク」作りに取り組んでいる。 現在のセンター会員である医師の方々からのこの取り組みへのご協力を期待している。
-ホームページのリニューアル
社会に対するセンターの窓口はわたしたち一人ひとりの会員である。 今後とも会員一人ひとりの社会への働きかけが重要なことに変わりはない。 しかし同時に、最近ホームページを通じての社会との関わりの重要性がきわめて増強してきたことも事実である。 ホームページをより良いものにして、社会に意義のあるわれわれの活動をさらに的確に伝えるべく、リニューアルプロジェクトに取り組んでいる。ホームページに関するご意見を歓迎するとともに、リニューアルプロジェクトにご協力下さる会員を募集している。
心と魂のケアは
私たち会員ひとり一人の
毎日の挨拶から
叫びに気づく : わたしたちのチャレンジ・出番
ウァルデマール・キッペス
プロローグ
「自他の心と魂を育む協力者各位
チャレンジの多かった2011年、最後の日にあたり皆様に感謝のことばを一言申し上げたいのです。特に東北の震災と人災による苦難を背負っている方々、東北の皆様との連帯感をもって東北に出かけてご協力されている方々に『ありがとう』をお伝えしたいのです。
失ったことを元の通りにはできませんが、今の状況を積極的に生きられる力と勇気がありますように希望し、期待しています。
2012年、いつ、どういうハプニングがあるかは誰にも分かりませんが、互いに心を合わせることができます。 『自分しかできないこと』を活かすことは、社会や世界の心のリニューアルのために、なくてはならないことでしょう。ご自分なりに心と魂の大切さを社会に意識化してくださいますように願いつつ--」
以上は2011年末にセンター会員にe-mailで送ったメッセージである。
昨年のお正月は「明けましておめでとう」という挨拶を多くの人々が交わしたことだろう。だが、希望した「明るさ」は2ヶ月ちょっとしか続かなかった。3月11日を境にして少なくとも東北の人々にとっては想像した明るい年ではなかったであろう。多くの人々は予想し得ないほどに変えられた状況の中で、今年のお正月を迎えたのではないだろうか。そんな中で「明けましておめでとう」という挨拶を交わしたかどうかは分からない。しかし東北の人々がどのように暮らしているかよりも、どのように生きているのか、いわば今の状況を生きる力とは何であるかを探り、たとえわずかであってもそれを育んでいくことを手伝うことができれば良いと思う。
① 叫びを聴き、それに応えること
・一人の患者の訴え
「患者の権利として、患者の立場に立ったケアという面からもパストラルケア(=スピリチュアルケア *1)を考えて欲しい。…病院は患者のためにあるのではなく、医療関係者の利便のためにある。…私は、日本の病院の現状が治療や、癒しを与える場ではなく病人を作る場になっているのでは、と医師や看護師に訴えました」という、このe-mailの発信者は、がんの大手術の体験者。
この訴えはわたしたちセンターへの注文でもある。自分の生き方を通して、医療界に心と魂の育成の大切さと有益さを伝達していくように、という課題を提起している。
・医師の叫び
-自然科学の限界
昨年10月、福島県立医科大学救命救急センターの若い医師に初めて出会ったときのことが強く印象に残った。彼は全身をふるわせて叫んだ。「これは自然科学の限界だ。どうしよう。哲学の勉強を始めました」。医師としての心、自身の全体を生かすスピリットへの願いと叫びをこのように聞いたのは初めてであった。 スピリットに生かされているスピリチュアル・ケアワーカーは、わずかであってもその存在を通して医師を援助できる。自らを生かすことのできるスピリットを、今こそわたしたちが証明するときだ。
ちなみに、昨年秋、2012年度の臨床パストラル教育研究センター全国大会の講演者としてこの医師を薦めると「来年(今年)の6月には福島のことは公(世間)ではもう忘れられている」と言われ、私はショックだった。衝撃的な震災と人災による心の傷が、わずか一年余りで消えると思うのはグリーフの深さ=心の痛みを理解していないのではないか。
-患者のアフターケア
昨年4月札幌で、肝臓移植で著名な医師、藤堂省教授に初めて出会った。彼はアメリカのピッツバーグPittsburg大学で肝臓移植の教授としてめざましい活動をし、その後北海道大学に呼ばれて肝臓移植専門教授として活躍してきた。藤堂氏は「アメリカでは肝臓のドナーとその家族およびレシーバー(移植を受ける人)へのアフターケアはチャプレンがしました。日本ではこういう制度がない。臨床心理士は週に1回勤務することになりましたが、臨床パストラル・ケアワーカーが必要です。そのためにはまず『医者のネットワーク』をつくるとよいでしょう」と力強く訴えられた。ここでも自然科学の限界が見える・・・。
自然科学のみの教育を通して医師になったほとんどの者は心と魂の存在を認めにくい、というよりもその領域を体験していないために認識しにくいと言えよう。そのためにはその領域を意識し、少しでも体験している医師を見つけ、「医者のネット」を繋げていくような呼びかけが必要であろう。まずセンター会員の医師をはじめとして、一人でも多くの医師に働きかけることが今後の課題となる。
・生きる力への叫び
-自死:周囲が気付けなかった叫び
50代の奥さんは仮設住宅から海に入水、親を震災で失った10代の男性は親の遺骨をもって海に飛び込んだ。昨年の10月から12月の三ヶ月の間に、40代の二人の男性の自死(二人とも身体的な病気はなかった)の知らせがあった。出張中の12月、東京の山手線では2回も人身事故で電車が動かなくなった。車内の電光掲示板には「人身事故」が頻繁に流れているが、何の影響も受けていないかのような乗客の様子にわたしは驚いていた。もう慣れているのだろうか。彼らの叫びに誰か気付くことがあっただろうか。
-教育「生きる根本、命の源泉を考える/教え(られ)ない」私の叫び
私は昨年10月、ある小学校で4~6年生とその保護者に講演させてもらった。この小学校は少人数でアットホームであるが、中学は近隣校から生徒が集まるため大人数になり、さまざまな問題(例:自分の意見が言えない)が起きることが予想される。そのために力になることを教えて欲しいと言われたので、「あなたが大切 Only One」をテーマにして「自分しかできない」ことを生徒に書いてもらい、それを考えてもらった。だが「命の源」について話すことは制限されていたために悩んでいた。“親に対する感謝”は取り扱えても、母子家庭や親のいない子供もいるので簡単ではなかった。(前もって尋ねると、10人の母子家庭と母親がいない生徒がいた。)「命の源」は母親でも祖母や曾祖母でもない。命自体は授けられたもの(プレゼント)であり、人間が造ったものではない。ところがこうしたことを公立小学校で教えるなら、すぐに宗教ではないかと言われる。すると子供は生きるための根本的な事柄に触れることなく、生きるベースを知ることもない。
自死の多くの原因が生命の源への理解不足から生じるものではなくても、自死へ与える影響力は重大なものである。これこそが私の叫び。 命の源、生きる力、生きる意味と目標は人生の中心課題である。われわれはそれを意識し、生き方によって周囲に証しすることが大切である。日常において最も意義のある課題だと思う。
② 叫びに対する応答
・ 社会全体としての課題
マスメディアは社会の価値観を反映している。例えば、年末年始の朝日新聞のトップページには次のような見出しが見られた。
「ユーロ一時100円割れ ~10年半ぶり再安価~」(2011年末)、
「原子力安全委側に8500万円 ~06~10年度24人、業界から寄付」(2012年元旦)。
このような経済に関する出来事は大切であっても、人生における心の叫び、いわば生きる源、意味や目標への援助としては限られた価値しか持たないと思われる。例えば、昨年、自死した有名人(作詞家、漫画家、会社社長、政治家、元プロ野球選手、ミュージシャンやアイドル/タレント)*2 は15人ということだが、おそらく、これらの人々にとって経済問題は中心課題ではなかったと思う。そのためには、社会が生きる源、生きる目的、生きる意味などを意識化し、教育に反映させていくことをわれわれは働きかける必要がある。
・スピリチュアル・ケアワーカーの課題
自分の人生を希望どおりに変えることはできない。まして地震や津波などの自然災害を人間が支配できないために人間は窮地に陥る。しかし人間のこの無力さが人間社会の中心課題として取り扱われることはなかった。人間は無力であり万能ではない事実を認めて、人生を積極的に(可能な範囲内で)生きるためには、このことこそ経済問題などよりは中心的課題であると理解すべきである。
また、同じ元旦のトップページに「『リスク社会に生きる 迷いながら 去る人 残る人』つまり『放射線への不安からドイツに逃げた親子と、故郷への思いを断ち切れず福島で暮らす人々。去るも残るもリスクを抱える。人々は迷い、ぶつかり、自らの道を探す』」という記事も載っていた。これは、生きることはお金だけでは解決できないという心の叫び、自分自身を生きることへの欲求を表しているのではないだろうか。リスクを生きるかどうかは個人の選択の問題である。大自然の状況を理解するには、自然科学者の知識を聞いて個々に判断を下すほかはない。しかしそのとき、聴く耳をもち、共に考え、現実を弁えるための信頼できる同僚が欲しい。その同僚とはアドバイスをする“先生”ではなく、選択する過程で必要に応じて相手の自己決定を助けるようなスピリチュアル・ケアワーカーである。
スピリチュアル・ケアワーカー自身は、根本的な課題である生きる源、生きる意味とその目標を日常の生き方の中で常に追求する者でなくてはならない。
・何によって生き、
・なぜ生き、
・何に向かって生きているのか。
これら三つの課題に対する答えを、スピリチュアル・ケアワーカーが意識的に生きる中で得ようと努力する英知や知恵は、ケアするためのベースになる。そのとき、最終的には一人ひとりは自分の能力に応じてその三つの課題への答えを体験に基づいて得るほかないが、その課題を追求するとき、同僚の存在は支えとなる。 だが、学ぶこと即ち自分で考えることは、他者への依存ではなく独学すべきものであることを忘れてはならないだろう。
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1: 筆者としての解釈
2: http://ja.wikipedia.org/wiki/
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NPO法人臨床パストラル教育研究センターのビジョン
ウァルデマール・キッペス
年頭所感で述べたような日本の現状に鑑み、当センターのビジョンを再確認したい。
1)センターのビジョン
-相互に尊敬し合い、心身ともに成長すること
社会にスピリチュアルケアを提供するには、わたしたちが互いに尊敬し合うことが基本となる。そして相互のタレントを認め合い、活かすことが大切である。例えば、誰でもが患者訪問をできるとは限らない。だが、患者訪問をできる人を援助し、励まし、肯定し、活かし合うことはできる。また、訪問できる人もそれを可能にしてくれる人に対して感謝して接することによってセンターは多様性のある一つの有機体になる。当センターが社会において「生きるモデル」になることを目指したい。
-癒し主 イエス
センターの中心思想である「癒し主 イエス」は他者からの厳しい体験によって心が堅くなった者ではなく、他者を受け止めてゆるす者である。イエスはアイコンタクトによって、相手に「あなたは欠点があっても価値のある人間だ」ということを理解させることができた。これは癒しである。
ちなみに何かの病気を治してもらった人が必ずしも癒されてはおらず、逆に病気やハンディーを患っていても癒された人がいることを理解すべきである。「病気を治してもらうこと」と「癒されること」とは異なっているのである。
2)このビジョンを踏まえてセンターの今後の活動
-認定者の活動と生活の保証
センターにとって以前から重要な課題になっていることは、認定者の活動の場所を確保し生活の保証が得られるように援助することである。認定者自らが得た資格を自発的に活かし活動の場を見いだすように奨めると同時に、センターとしても認定者が活きる場を獲得できるように社会に働きかけることが重要である。 この点について一つの意義ある動きとして、センターが昨年「日本スピリチュアルケア学会」の賛助会員になったことが挙げられる。 当センターを含めたいくつかのスピリチュアルケア教育研修機関(組織)がスピリチュアル・ケアワーカーの資格認定制度について話合い、学会を中心にしてある程度日本での統一基準のようなものができないかという議論が開始された。これはただ認定制度だけに関わることではなく、今まではセンターがいわば単独で社会に対していろいろ働きかけていたのだが、今後はスピリチュアルケア学会を中心にして各機関が協力することによって社会への働きけが更に強力なものになることが期待される。
-研修病院の増設
現在5つの研修病院がある。このために年間に開催できる研修会の頻度に限りがある。受け入れて下さる病院を増やすことが急を要する課題である。 この為には5日間研修会のできる病院ばかりではなく、研修生が単独で患者訪問することを許可して下さる病院をも開拓していく必要がある。 現在、いくつかの病院(鹿児島、札幌など)と交渉中である。
-医者のネット
年頭所感でも触れたように、「スピリチュアルケアに関する医者のネットワーク」作りに取り組んでいる。 現在のセンター会員である医師の方々からのこの取り組みへのご協力を期待している。
-ホームページのリニューアル
社会に対するセンターの窓口はわたしたち一人ひとりの会員である。 今後とも会員一人ひとりの社会への働きかけが重要なことに変わりはない。 しかし同時に、最近ホームページを通じての社会との関わりの重要性がきわめて増強してきたことも事実である。 ホームページをより良いものにして、社会に意義のあるわれわれの活動をさらに的確に伝えるべく、リニューアルプロジェクトに取り組んでいる。ホームページに関するご意見を歓迎するとともに、リニューアルプロジェクトにご協力下さる会員を募集している。
心と魂のケアは
私たち会員ひとり一人の
毎日の挨拶から
by pastoralcare-jp
| 2012-01-30 14:59
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