2010年 04月 09日
スピリチュアルケアの勉強室6 |
スピリチュアルケアと悲嘆/グリーフケア
グリーフケアは3つの要素を取り扱う。第1は友情や愛着のある人やペットとの別れ(死亡)、職業や希望などを失うことによる深い悲しみ、悲痛(grief)の感情。第2は喪失を体験している状態自体(bereavement)。第3は悲嘆、哀悼、喪(mourning)に関するものである。それは(特に死による)喪失から生じてくる悲しさを伝統的な習慣によって取り扱うことである(例:忌中、服喪期間、喪服、喪章)。
E・キューブラ=ロスは死への過程と同様にグリーフの過程にも5つの段階(否定・怒り・取引・憂うつ・受容)があると述べているが、現代では7あるいは10の段階があると仮定されている。7つ目の段階は1.ショックあるいは信じようとしないこと(不信) 2.否定 3.取引 4.罪悪感 5.怒り 6.憂うつ 7.受容/希望である。10の段階とは、1.ショック状態に陥る 2.感情を表現する 3.憂うつになり孤独を感じる 4.悲しみが身体的な症状として表れる 5.パニックに陥る 6.喪失したことに罪悪感を抱く 7.怒りと恨みでいっぱいになる 8.元の生活に戻ることを拒否する 9.徐々に希望が沸いてくる 10.現実を受け入れられるようになる、である。
ちなみに、その段階を区別することはできても、喪失した体験者が必ずしもその順番あるいはすべての段階を経ていくものではないことに注意したい。
スピリチュアルケアと悲嘆/グリーフケアに関して、その二つは対立するわけではなく、「グリーフケアにおけるスピリチュアルケア」という課題が適切であろう。掛け替えのない喪失に因る痛みは、痛みそのものの存在と同様に薬物や手術、社会福祉や心理学によって取り除くことは不可能である。掛け替えのないものの喪失を健全に生きるには基本的な存在意義、確信や信念が不可欠の要素になる。こうした要素はスピリチュアルな事柄であり、スピリチュアルケアが必要となる所以である。
上述した段階においては特に“ショック”、“取引”、“罪悪感”そして最終的な“受容”のときにこそ内面的なパワー=内に秘めた力、才知、力量が要求されるからである。痛み自体に対する反応-否定~受容-は最終的に存在そのものに対する反応でもあるので、心と魂、いわばスピリチュアルな問題であり、スピリチュアルケアの対象となるのは当然であろう。
W・キッペス
悲しみ、嘆き、即ちグリーフ(grief)は変えられない状態、つまり喪失によって生じてくる自然な反応である。喪失自体は人間として避けることのできない実存的様相の一つであり、スピリチュアルな痛みを生じさせる一つの主な原因でもある。グリーフケアとは撤回できない、取り消し[変更]できない(irreversible)、また(人やものが)代われない、取りかえられない、あるいは得難い、掛け替えのない(irreplaceable)ことによる喪失を体験し、苦しみ悩んでいる人に対する手助けである。グリ-フケアは総括的パリアティブ・ケアと同様に身体的、社会的、心理的およびスピリチュアルな援助を必要とし、チームワークで実施するのが好ましい。グリーフワークとはこうした喪失体験に苦しみ悩んでいる人自身ができるだけ健全に生き続けられるための努力である。グリーフケアは3つの要素を取り扱う。第1は友情や愛着のある人やペットとの別れ(死亡)、職業や希望などを失うことによる深い悲しみ、悲痛(grief)の感情。第2は喪失を体験している状態自体(bereavement)。第3は悲嘆、哀悼、喪(mourning)に関するものである。それは(特に死による)喪失から生じてくる悲しさを伝統的な習慣によって取り扱うことである(例:忌中、服喪期間、喪服、喪章)。
E・キューブラ=ロスは死への過程と同様にグリーフの過程にも5つの段階(否定・怒り・取引・憂うつ・受容)があると述べているが、現代では7あるいは10の段階があると仮定されている。7つ目の段階は1.ショックあるいは信じようとしないこと(不信) 2.否定 3.取引 4.罪悪感 5.怒り 6.憂うつ 7.受容/希望である。10の段階とは、1.ショック状態に陥る 2.感情を表現する 3.憂うつになり孤独を感じる 4.悲しみが身体的な症状として表れる 5.パニックに陥る 6.喪失したことに罪悪感を抱く 7.怒りと恨みでいっぱいになる 8.元の生活に戻ることを拒否する 9.徐々に希望が沸いてくる 10.現実を受け入れられるようになる、である。
ちなみに、その段階を区別することはできても、喪失した体験者が必ずしもその順番あるいはすべての段階を経ていくものではないことに注意したい。
スピリチュアルケアと悲嘆/グリーフケアに関して、その二つは対立するわけではなく、「グリーフケアにおけるスピリチュアルケア」という課題が適切であろう。掛け替えのない喪失に因る痛みは、痛みそのものの存在と同様に薬物や手術、社会福祉や心理学によって取り除くことは不可能である。掛け替えのないものの喪失を健全に生きるには基本的な存在意義、確信や信念が不可欠の要素になる。こうした要素はスピリチュアルな事柄であり、スピリチュアルケアが必要となる所以である。
上述した段階においては特に“ショック”、“取引”、“罪悪感”そして最終的な“受容”のときにこそ内面的なパワー=内に秘めた力、才知、力量が要求されるからである。痛み自体に対する反応-否定~受容-は最終的に存在そのものに対する反応でもあるので、心と魂、いわばスピリチュアルな問題であり、スピリチュアルケアの対象となるのは当然であろう。
by pastoralcare-jp
| 2010-04-09 14:10
| 勉強室