2009年 05月 01日
スピリチュアルケア誌43号 2009年4月 |
傾聴 ―良きスピリチュアルケア・ワーカーであるために―
「わたし(たち)は患者さんのことをただ聞く/聴くだけの役割をもっています」と言ったあるホスピスボランティアの発言がわたしの記憶に残っている。 この発言には「自分たちは大したことをしていないのではないか」という呟きとそれに対するわたしからのアドバイスが欲しいという願望が含まれていると感じられた。 傾聴はベッドサイドだけでの行為として単純に“ただ聞く/聴くだけのこと”ではなく、語り手(患者)と聴き手とが深いレベルで結び付けられるカギである。聴き手の全人的な応答は語り手との関係を形成する上で不可欠なものである。 この点に関して、最近あったいくつかの出会いを例として取り上げて以下考えてみたいと思う。
1月のこと。急死した知り合いの方の通夜が始まる前、その奥さんと挨拶を交わした。わたしは「びっくりした」としか言えなかった。その奥さんの「わたしもびっくり」という返答で会話はおわったのだが、本物の出会いになったような気がした。そのとき「お悔やみ申しあげます」のような決まり文句を言ったのでは、ショック状態にあった奥さんとの心の関わりは成り立たなかったのではないだろうか。
2月、25歳下の後輩との出会い。彼は10年前からパーキンソン病になり、自分の得意の声楽もできずに“生きている”。「また一つ身体の機能がなくなったけれども、3ヶ月も経つとそれに慣れてくる。神は素晴らしい身体を作られた」と彼は次々に分かち合ってくれた。わたしは「自動車のマフラーはガタガタと音を立てて初めてこういう部分もあったということに気が付くようなものだ」とわたしは応えて、相手との理解が深まったと思う。
同じく2月、旅立つ数日前のAさんをはじめてホスピスに訪問した時のこと。わたしは十数年前Aさんの話を一回だけ聴き、Aさんの物事をみる観点に感銘を受けたことがあるが、今まで直接面談したことはなかった。訪室してベッドサイドに座らせてもらい、自己紹介した。痩せているAさんはわたしに顔を向け、「愛宮(えのみや)(みたい)」と言われた。わたしは最初、その意味が分からなかったが、しばらくしてむかしAさんの先生だった方の名前だと分かった。
そのときAさんの二人の姉妹は病室にいたが、いつの間にかAさんとわたしの二人だけになった。Aさんが「今、何時ですか」と聞かれたので「7(19)時です」と返事をすると、Aさんは「昼ご飯かと思った」と言われた。そこでわたしは「ただそばに座っていていいですか」と聞くと「はい」と答えた。わたしは目でAさんを見守ったが、それはAさんに緊張感を与えるのではないかと心配した。
Aさんがわたしに「お年は?」と聞くので、「78」と応えた瞬間、わたしより10数年下のAさんのがっかりした反応が顔に出た。「運(神)は平等ではない」と言うかのように。
しばらくしてからAさんは何かを探すように手を動かしたので、「何ですか」と聞くと「ナースコール」と教えてくれた。ナースコールは見当たらず、わたしはナースステーションに行って看護師を呼んだ。いつの間にか二人の看護師とAさんの姉妹は病室に来て、4人でAさんの願いに何とか対応しようとしたがわからなかった。4人とも「わからない」と呟きながら病室を探し回っていた。そのうち彼女たちは少しずつAさんの願いが分かって、Aさんの目の前の棚から毛布などを取り除けて、安楽椅子に置いてあったわたしの帽子とジャンパーをその棚に置いた。その安楽椅子にわたしを座らせなさいということだった。わたしがスツールに座っていたからである。わたしは笑いながら「王様の椅子みたい。こういうのに座るのは慣れていない」といいながら座った(ちなみに、わたしは安楽椅子が好きでない)。わたしはAさんの心遣いに驚きながら感謝とAさんの評価を続けた。「本物のお方です。話し方が儀式的でなく日本的な発想や考え方をしてくださるお方」のように。
間をおいてから「歌っていいですか」と尋ねると、「はい」と頷いた。わたしがグレゴリアンやamazing graceをゆっくりと歌い終わってしばらくして、Aさんの表情は明るくなり、起きあがりながら拍手された。そのような反応はわたしにとって初めての体験であった。それからAさんに「支えや力になっていることは」と聞くと、「sister(姉妹)」と応えた。その後、さらに「祝福してください」とAさんに願うと、彼はつらそうに厳しい表情を見せながら何かをつぶやいただけだった。それで「また来ていいですか」と聞くと、Aさんは頷かれた。40分あまりの出会いであった。 その翌日再び訪問したが、Aさんは苦しそうだったので、ことばを交わせなかった。15分~20分ほどしてから退室し、隣の「祈りの間」でAさんのために祈りながら時間を過ごした。
3月のこと。「わたしはBさんとどう話したらいいかわからない」と嘆く知人に助けを求められBさんに会った。Bさんは障害をもつ一人の娘さんと暮し、その状況は少しも変わる見通しがないことから二人とも死にたいと思ったこともあったという。初めて会うBさんから「(血液)何型ですか」と一般的な質問を受け、わたしはそれには答えなかった。Bさんのことに重点を置きたいからであった。そこでBさんの歩んできた人生の回想と評価を始めた。自分の思うとおりにならなかった結婚のこと、十年間経てば状況が変わるだろうという期待が外れて、10年以上経っても毎日娘さんの世話で縛られている人生を何十年も生きてきたこと、 娘さんを日々大切にしておられることなど。Bさんは涙を流しながら黙って聞いていた。誰も真似の出来ない仕事(娘さんの世話)のことや独学の生活について自己評価したり、してもらったりしたことがなかったのではないだろうか。
実際に生きる状況はこうした評価によって変わるわけではない。 だが違った目で見直してみることは、生き続けるために必要な内面的な力を湧き出させる起因にはなりうるのではないか。
傾聴は単にただ聞く/聴くだけではなく、病んでおられる方の状況を含めて聞かせてもらい、聴き取ったことに対する応答によって相手を活かす行為である。その準備としてボランティア・ケアギバーは、意識的に内面性を育成し続ける日々の暮らし方がカギになる。自分自身の中に何かの希望やニーズ、欲求や動きがあるだろうか? 日常何気なく使っていることばにどんな意味が本当はあるのだろうか? 自分へのそのような問いかけに敏感になることである。 傾聴は重労働であり、生きることであるからである。
言い換えれば
・傾聴は相手をまるごと把握しようとする努力
・相手に本人の知らない部分を意識させること
・相手から受けた気づき、感じや印象をフィードバックすること
・真心で相手をできるだけ正確に評価して活かせること
・きれいごとではなく相手のマイナス思考、悩みや苦痛などをプラスに変換できるように工夫することである。
ウァルデマール・キッペス
「わたし(たち)は患者さんのことをただ聞く/聴くだけの役割をもっています」と言ったあるホスピスボランティアの発言がわたしの記憶に残っている。 この発言には「自分たちは大したことをしていないのではないか」という呟きとそれに対するわたしからのアドバイスが欲しいという願望が含まれていると感じられた。 傾聴はベッドサイドだけでの行為として単純に“ただ聞く/聴くだけのこと”ではなく、語り手(患者)と聴き手とが深いレベルで結び付けられるカギである。聴き手の全人的な応答は語り手との関係を形成する上で不可欠なものである。 この点に関して、最近あったいくつかの出会いを例として取り上げて以下考えてみたいと思う。
1月のこと。急死した知り合いの方の通夜が始まる前、その奥さんと挨拶を交わした。わたしは「びっくりした」としか言えなかった。その奥さんの「わたしもびっくり」という返答で会話はおわったのだが、本物の出会いになったような気がした。そのとき「お悔やみ申しあげます」のような決まり文句を言ったのでは、ショック状態にあった奥さんとの心の関わりは成り立たなかったのではないだろうか。
2月、25歳下の後輩との出会い。彼は10年前からパーキンソン病になり、自分の得意の声楽もできずに“生きている”。「また一つ身体の機能がなくなったけれども、3ヶ月も経つとそれに慣れてくる。神は素晴らしい身体を作られた」と彼は次々に分かち合ってくれた。わたしは「自動車のマフラーはガタガタと音を立てて初めてこういう部分もあったということに気が付くようなものだ」とわたしは応えて、相手との理解が深まったと思う。
同じく2月、旅立つ数日前のAさんをはじめてホスピスに訪問した時のこと。わたしは十数年前Aさんの話を一回だけ聴き、Aさんの物事をみる観点に感銘を受けたことがあるが、今まで直接面談したことはなかった。訪室してベッドサイドに座らせてもらい、自己紹介した。痩せているAさんはわたしに顔を向け、「愛宮(えのみや)(みたい)」と言われた。わたしは最初、その意味が分からなかったが、しばらくしてむかしAさんの先生だった方の名前だと分かった。
そのときAさんの二人の姉妹は病室にいたが、いつの間にかAさんとわたしの二人だけになった。Aさんが「今、何時ですか」と聞かれたので「7(19)時です」と返事をすると、Aさんは「昼ご飯かと思った」と言われた。そこでわたしは「ただそばに座っていていいですか」と聞くと「はい」と答えた。わたしは目でAさんを見守ったが、それはAさんに緊張感を与えるのではないかと心配した。
Aさんがわたしに「お年は?」と聞くので、「78」と応えた瞬間、わたしより10数年下のAさんのがっかりした反応が顔に出た。「運(神)は平等ではない」と言うかのように。
しばらくしてからAさんは何かを探すように手を動かしたので、「何ですか」と聞くと「ナースコール」と教えてくれた。ナースコールは見当たらず、わたしはナースステーションに行って看護師を呼んだ。いつの間にか二人の看護師とAさんの姉妹は病室に来て、4人でAさんの願いに何とか対応しようとしたがわからなかった。4人とも「わからない」と呟きながら病室を探し回っていた。そのうち彼女たちは少しずつAさんの願いが分かって、Aさんの目の前の棚から毛布などを取り除けて、安楽椅子に置いてあったわたしの帽子とジャンパーをその棚に置いた。その安楽椅子にわたしを座らせなさいということだった。わたしがスツールに座っていたからである。わたしは笑いながら「王様の椅子みたい。こういうのに座るのは慣れていない」といいながら座った(ちなみに、わたしは安楽椅子が好きでない)。わたしはAさんの心遣いに驚きながら感謝とAさんの評価を続けた。「本物のお方です。話し方が儀式的でなく日本的な発想や考え方をしてくださるお方」のように。
間をおいてから「歌っていいですか」と尋ねると、「はい」と頷いた。わたしがグレゴリアンやamazing graceをゆっくりと歌い終わってしばらくして、Aさんの表情は明るくなり、起きあがりながら拍手された。そのような反応はわたしにとって初めての体験であった。それからAさんに「支えや力になっていることは」と聞くと、「sister(姉妹)」と応えた。その後、さらに「祝福してください」とAさんに願うと、彼はつらそうに厳しい表情を見せながら何かをつぶやいただけだった。それで「また来ていいですか」と聞くと、Aさんは頷かれた。40分あまりの出会いであった。 その翌日再び訪問したが、Aさんは苦しそうだったので、ことばを交わせなかった。15分~20分ほどしてから退室し、隣の「祈りの間」でAさんのために祈りながら時間を過ごした。
3月のこと。「わたしはBさんとどう話したらいいかわからない」と嘆く知人に助けを求められBさんに会った。Bさんは障害をもつ一人の娘さんと暮し、その状況は少しも変わる見通しがないことから二人とも死にたいと思ったこともあったという。初めて会うBさんから「(血液)何型ですか」と一般的な質問を受け、わたしはそれには答えなかった。Bさんのことに重点を置きたいからであった。そこでBさんの歩んできた人生の回想と評価を始めた。自分の思うとおりにならなかった結婚のこと、十年間経てば状況が変わるだろうという期待が外れて、10年以上経っても毎日娘さんの世話で縛られている人生を何十年も生きてきたこと、 娘さんを日々大切にしておられることなど。Bさんは涙を流しながら黙って聞いていた。誰も真似の出来ない仕事(娘さんの世話)のことや独学の生活について自己評価したり、してもらったりしたことがなかったのではないだろうか。
実際に生きる状況はこうした評価によって変わるわけではない。 だが違った目で見直してみることは、生き続けるために必要な内面的な力を湧き出させる起因にはなりうるのではないか。
傾聴は単にただ聞く/聴くだけではなく、病んでおられる方の状況を含めて聞かせてもらい、聴き取ったことに対する応答によって相手を活かす行為である。その準備としてボランティア・ケアギバーは、意識的に内面性を育成し続ける日々の暮らし方がカギになる。自分自身の中に何かの希望やニーズ、欲求や動きがあるだろうか? 日常何気なく使っていることばにどんな意味が本当はあるのだろうか? 自分へのそのような問いかけに敏感になることである。 傾聴は重労働であり、生きることであるからである。
言い換えれば
・傾聴は相手をまるごと把握しようとする努力
・相手に本人の知らない部分を意識させること
・相手から受けた気づき、感じや印象をフィードバックすること
・真心で相手をできるだけ正確に評価して活かせること
・きれいごとではなく相手のマイナス思考、悩みや苦痛などをプラスに変換できるように工夫することである。
by pastoralcare-jp
| 2009-05-01 12:03
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