2015年 05月 11日
青写真のない人生 スピリチュアルケア誌67号 |
青写真のない人生
~ 成長へのチャレンジ ~
導入 「いつもの通り?」
ある日、一ヶ月ぶりに会ったクリニックの職員Aさんと次のような会話をした。
「元気ですか?」と言われ、「(相手の判断に)お任せします」と答えた。(実際には内面的な痛みがあった。Aさんは続けて、「(仕事は)いつもの通り?(お変わりなく?)」と言われ、私は考えさせられた。というのは、その頃イスラム国によって人質にされた日本人、後藤健二氏と湯川遙菜氏のことや難民となって援助を必要とする人びとのことを考えていたからだ。彼らは日々「いつも通りではない生活」を強いられている。
この記事を書き始めて間もなく、短時間のうちに三つの知らせを受け取った。一つ目は60年間、日本で宣教活動をしてきた同僚が心身ともに弱くなったため、(半ば強制的に)母国に戻り検査入院後、隔離病棟に入ったこと。二つ目は同級生でもある同僚が脳梗塞の発作を起こし入院中であること。三つ目は3年余り寝たきりで声も出せない同僚に「誕生日おめでとう」と伝えた後、付き添いの方から「余命3ヶ月と言われている」と聞いたこと。そして、これらの知らせを受ける少し前に、ドイツ航空機がフランス・アルプスで墜落事故を起こした。
当たり前ではない日常:「行ってきます」「行っていらっしゃい」
出発前、犠牲になった乗客のほとんどは、このような言葉を家族や友人らと交わしたのではないだろうか。そして、行って帰ってくることを当たり前のように考え、日常に戻れることを疑ってはいなかっただろう。飛行機の乗務員は同僚を信頼し、いつも通り任務に就き、操縦室で機長は副操縦士と普段通り言葉を交わしていたのではないだろうか。そんな中、搭乗前にトイレに行けなかったことを伝え「いつでも替わります」という彼の言葉を聞いて信頼して席を立っただろう。ところが予想外のことが起こった。副操縦士の拒否によって機長は操縦室には戻れず、出発してから約50分後に飛行機は時速700㎞のスピードでフランスのアルプス山中に激突し粉々になった。
日々の挨拶は何気なく交わされることがほとんどだろうか。しかし、人生そのものは何気ないことの繰り返しとは限らない。germanwings 4U-9525の墜落事故はそのことを意識させ考えさせる。
このような突然の別れは、いつ誰の身に起こるか分からない。わたしの妹の死と母のショックが思い出される。16歳だった妹が朝学校に行くとき、母はいつも通り「神はあなたを守りますように Behüt dich Gott」という言葉(南ドイツ・カトリックの挨拶)で見送った。妹も母もいつも通り再び会えると思っただろう。「神はいつもの通り見守ってくれる」と二人は考えただろう。しかし、妹は学校に着いて間もなく急死した。このときの母のショックは10数年間続いた。
再び会えること、変わらない日常があることなどは当たり前ではなくプレゼントであると考えていることが大切だと思う。そう思えれば自他を活かせる出会い、生き生きとした挨拶が生まれるのではないか。
出来事や情報に対する自分の反応
germanwingsの事故で犠牲となった学生が通った高校、その街の市長は残された学生の心のケアを考えた。当日のニュースをできるだけ学生たちの目に触れないようにし、授業を休みにしながらも、学生は自由に登校できるようにした。休校は続いたがその間、学生が学校で「心のケア」を受けられるように「ケアチーム」を派遣した。またドイツ政府は4月17日にケルンの大聖堂で犠牲者のための追悼式をおこなうことを決めた。
事件や事故、情報に対して自分の意見をもつことは大切である。
わたしは次の二つのことが気になっている。一つは副操縦士の問題をほとんど精神医学や心理学、そして法学の問題(領域)としたことである。自死のために他者を巻き込む(殺人)事件は単純に精神医学や心理学、法学(医療者の守秘義務)の問題ではないと思うからだ。犠牲者のための追悼式、いわばグリーフケアの中心は精神医学・心理学や法学だけではなく、哲学や信仰(神学)の問題を含む。悲嘆(グリーフ)は、変えられない残酷な出来事に対する同情、連帯に基づく応答であり、尊敬の表れでもある。一方で、同級生らは報道関係者・ジャーナリスト~カメラやマイク~に絶えず囲まれることに苦しんだ。残された人々に尊敬や同情をもって寄り添えるような気持ちの繊細さや敬意が足らなかった。
日常会話の中で、相手に「どうですか」とか「どうしたの」のような言葉を掛けることは多い。これは単なる好奇心から発せられることもあるため適切でない場合もあり、不用意には使わないほうがよいだろう。特に相手のプライバシーに関することには尊敬の念を持って慎重になる必要がある。調べるような問い掛けや雰囲気からは信頼関係を生み出せない。今、その時、そこにあるものに気づき意識することが大事である。
ある時、有名な精神科医が「スピリチュアルケア」の講演をした際、「今までの話について質問がありますか」と聴衆に尋ねた。一人の僧侶が手を挙げ、立ち上がるなり怒ったような声で「具体的に話してください!」と叫んだ。彼はスピリチュアルケアの“know-how”を聞けると思ったようだ。だがスピリチュアルケアには“know-how”がない。一人ひとりは唯一な存在であって、その心、スピリットもまた唯一無二だからだ。人間を尊い存在として相手にする対象はスピリットつまり「心」の核なのである。
自身の生き方・考え方への影響
出来事・情報によって自身の生き方、考え方は大きく影響を受けるだろうか。あるいは、新聞やTVの報道に合わせて関心の対象が変わったり受けた影響が風化されたりしていくだろうか(たとえば、ISによる悲惨な出来事、キリスト者への迫害などに対して)。わたしは今回の墜落事故によって、安心のベースが人間の持っている技術や訓練などに基づく安全や安定ではなく、心、内面的な状況であることを改めて認識させられた。個人の内面的な状況、哲学に基づいた人間学や信仰は、わずかでありながらも安心のベースを作り上げる。何の保証もない人生において、信頼こそ安心の根幹となるものである。
自分の考え、知識やイメージを現実のなかで(再)確認する
習得した知識や考えなどを現実の体験のなかで磨いていくこと。たとえば、定年まで勤勉に勤めあげれば退職後に自分の思い通りの人生が迎えられるわけではなく、絶対の安全・安定は保証されていない。 従って、見て、聞いて、感じることに敏感になり、自分の体験や反応に正直になることが大切である。
絶えず学び続ける
自分の生きる目的、目標をできるだけ明確にし、日々の体験によって自身を磨くことは人生の中心課題であろう。親や学校で言われたから、学んだからと言っても、それが自分のものになるとは限らず、日常生活の体験によって確かめ、必要に応じて学び直す必要がある。例えば、昭和の時代の信念と21世紀のそれは異なるだろう。習慣や伝統、「ふつうはこうする、日本人ならこうする」などと言う生き方で納得できる人生が送れるかどうかは疑問である。
自分に対して影響を与えるものを、自分を困らせたり不安にさせるものとして受け止めるのではなく、自分を生かすための刺激として受け取るなら建設的である。
たとえば、
・年齢を重ねることで生じる否定的な面よりも重ねたことによって日々をより深く味わえること
・ニュースをただ読むだけではなく、考え、生きるためのきっかけになるよう意識する
・知識量よりも知識を深めること、知恵を得ること
歳を取る=人生が豊かになる、とは言いがたい。しかし日々、気づきを得られるような敏感さがあれば幾つになっても内面性は豊かになり得る。特に加齢による健康状態の変化は初体験であることが多いため、これまでの固定観念を破り新たな要素を発見できる可能性がある。
今、わたしにできること
最近、ある同僚と電話で話したとき、彼は「わたしたちは今『〇〇歳』です」と繰り返し話題にした。確かに今、その通りの年齢である。だが、今どう生きているか、人生から学んだことが今の生活を有意義に過ごすための知恵/知識になっているか、などは話題にならなかった。一方、次の一点は記憶に残った。それは老人ホームや施設に入る時期をできるだけ延ばすために今もサッカーとバレーボールを継続していることだった。
ある日、近所の男性が「今日は良い天気ですね」と挨拶してくれた。そのときわたしは「天気には関心はないが、目標があります」と答えると彼は驚いた表情をした。このとき、わたしは “今日の晴天の有り難さ”“この男性との出会い”つまり、いまここにあるものにはあまり意識を向けていなかった。日々、価値ある目標を持っていることがすべてではないと反省している。同時に天気がよくても生きる目標がなければ虚しいのではないかとも思う。
今を生きるためには、今、このときを意識し敏感になることである。特に相手が病を患っているとき、 ”今”その人にとって可能な事柄を発見しようとする心構えは大事である。例えば、スピリチュアル・ケアワーカー(SCW)であれば、アドバイスをすることではなく、ゲスト(G/患者)にとって今可能なことを一緒に発見することはその一つの例である。
G:「わたしは何もできない。もうだめです」と言うとき、
SCW:「『何もできない』と仰いますが、それをわたしに話してくれたことはできることの一つですね」と具体的なことを伝えることができる。
「何もできません」や「自分はだめ」というよりも自他のプラスの面に関心を向ければよい。互いの長所を発見し、それを認め分かち合うなら励ましになる。自他にない能力を要求することは無意味であると同時に自他の能力を認めず、使わずに生きるのはもったいない。
想像と現実
ある医学部の教授が重病の学生を訪問したときの会話。
教授:「(病気から生じてくる困難など)よく分かっていますよ」
学生:「先生は何も分かりません」と怒って答えた。
きれい事や曖昧な言葉は関係を強めることにはならず、かえって壊してしまう。
私事になるが、ある日知人と電話で話した時、相手と私の意見はかみ合っていなかった。そのとき相手が「私はあなたの希望をよく分かっています」と言ったことが気になった。私自身が自分の計画を明確にできていなかったのに、どうして相手がこう言えるのだろうかと。会話ではまず相手の考えていることを正確に聴くことが必要である。そして私と一緒にその計画を歩めなくても「私達の進もうとしているところは同じ所を目指していると思います」と言われたときの違和感は記憶に残っている。「同じ所を目指している」と言う前に、相手(私)の目標や考えを再確認してはどうだろうか。
自他の人生を深める関係
人間は関係による存在であって関係なしには生きられない。関係の始まりは家族であり、その中で互いに関係を身に付け深めていく。しかし、家族は自然に出来上がってくるものではない。しかも関係は完結するものではなく、絶えず流動的であり育成を必要とする。それはまず自分との関係から始まる。自分の長所と価値観(=自分にとって大切なこと)を明確にした上で、長所はその価値観を追求するために利用すればアイデンティティーが生じてくる(注意したいのは、自分の長所は活かすことができても無限ではないこと。無駄遣いせず、自分がほんとうに大切だと思うことに活かすべきである)。
共に生きようとするとき、互いに好きであることが前提ではなく、互いの価値観と長所を最小限でも知り認め合うことが重要である。でなければ互いの信頼を失った時にはその絆が切れてしまう。共に生きることは互いを尊敬し合う努力と協力という重労働が絶えず要求される。
尊敬し合う関係の中での意見交換は互いを育む。活かし合う健全な関係は“自分自身”である人間同士としての関わりである。ちなみにITなどから得られる情報は便利であるが、同時にそれらは外部からくるもの(価値観の違い!)であり、自分自身のものではないことを意識すべきである。
困難から学ぶ~ある母親の生きるコツ~
「息子と主人が亡くなった当時、残された家族は病気で弱ったおばあちゃんと精神の病気を持つ娘と私の三人暮らしでした。息子が亡くなったとき、娘は短大の2年生になったばかりでした。そのときのショックで本人は大学に戻ろうと必死でした。しかしある日突然大学にいく準備をして出かけようとしても足が進まなくなり、そして言葉も出なくなりました。その頃、主人はまだ元気でしたので、車を運転して病院に送りましたが、娘は発病したのでした。
主人が亡くなってから、運転手は私です。ペーパードライバーだったので自動車教習所で補習を受けるとき、教官は私の運転を見て「こんな年齢になって運転する必要があるかい。」と。しかし私は安全に運転出来なければ家族を守れません。安全運転は必要です。生活に欠かせないものです。交通量の少ないうちに朝早く起きて運転の練習に励みました。
こうしている頃も娘の病はなかなか治りません。娘を大学に帰したい、社会人にしたい、と一人でもがいていました。
こんな時、悲しみは怒りに変わりました。田舎なので田んぼを抜けて川端まで走り抜け、しゃくりあげてくる涙をどうすることも出来ず、石ころをありったけの力で投げつけていました。砂利を拾っては投げ、拾っては投げ、しっかり川にぶつけていました。どの位時間がたったのか覚えていません。思いっきり投げつけているうちに少し落ち着いたのでしょう。疲れ果てたのかもしれません。その当時のことはあまり覚えていませんが、幼子が地団太を踏んで自分の気持ちを訴えるようなものだったのでしょうか?」
私として命を生き切る ~最後まで私は私!~ 後20年位生きられると望んでいた婦人
「私は短気で怒りっぽい人間です。ですから、カチンときたら、相手がどなたでも、カチンときたことについて伝えます。カチンとくるのにはそれなりの理由があるからです。それで、相手の方としっかり意見を交換し合います。決裂することもありますが、意見交換のなかで、互いに相手の違いを認めて理解しあうことができれば大きな成長ができます。うれしいです。この私の性質は、死ぬまで変わらないと思います。死んでからもかな?
私は人とも、自分とも闘い続けると思います。それが私の生き方だからです。だから、がんとも闘い続けると思います。私は最後まで自分の命を生き切りたいのです。いただいた命を余すところなく生き切りたいのです。がんで余命の少ない私を、『この人は死ぬ人だ』と見てほしくありません。そういう見方は、『この人は死ぬ人、私は生きる人』という区分けをして、差別化することだからです。だって、そういうのなら、すべての人が死ぬのですよ。また、私は、『まだ生きている人』ではありません。『生きている人』です。『今を生きている人』です。あなたと同じです。私は、生きています。死を待つ人ではなく、生きている人としてかかわって下さい。もし、死の数日前に、ベッドサイドにあきらめ顔の看護師が来たら、私はそう言うでしょう。それが私の叫びです。私がよりよく生きるための援助を最後までしてほしいのです。よりよく生きることは、よりよく死ぬことであり、よりよく死ぬことは、よりよく生きることです。同じ一つの命です。私の生のベクトルは、未来を指さしています。生のベクトルは死でプッツンと途切れるのではなくて、この世での死後もさらに未来に向かっているのではないかと思います。」
人生の主人公は“私”
自分の人生を誰かが代わりに生きることはできない。人生の主人公は自分自身でしかなく、その人生を「私」として全うするように促されている。他者の心と魂の叫びに応えるには、まず自分自身の心と魂の叫びに応えることから始まると言ってよい。他者へのスピリチュアルケアは自分自身へのスピリチュアルケアから始まる。他者のことではなく、まず自分自身の課題であるからだ。
~ 成長へのチャレンジ ~
理事長 ウァルデマール・キッペス
導入 「いつもの通り?」
ある日、一ヶ月ぶりに会ったクリニックの職員Aさんと次のような会話をした。
「元気ですか?」と言われ、「(相手の判断に)お任せします」と答えた。(実際には内面的な痛みがあった。Aさんは続けて、「(仕事は)いつもの通り?(お変わりなく?)」と言われ、私は考えさせられた。というのは、その頃イスラム国によって人質にされた日本人、後藤健二氏と湯川遙菜氏のことや難民となって援助を必要とする人びとのことを考えていたからだ。彼らは日々「いつも通りではない生活」を強いられている。
この記事を書き始めて間もなく、短時間のうちに三つの知らせを受け取った。一つ目は60年間、日本で宣教活動をしてきた同僚が心身ともに弱くなったため、(半ば強制的に)母国に戻り検査入院後、隔離病棟に入ったこと。二つ目は同級生でもある同僚が脳梗塞の発作を起こし入院中であること。三つ目は3年余り寝たきりで声も出せない同僚に「誕生日おめでとう」と伝えた後、付き添いの方から「余命3ヶ月と言われている」と聞いたこと。そして、これらの知らせを受ける少し前に、ドイツ航空機がフランス・アルプスで墜落事故を起こした。
当たり前ではない日常:「行ってきます」「行っていらっしゃい」
出発前、犠牲になった乗客のほとんどは、このような言葉を家族や友人らと交わしたのではないだろうか。そして、行って帰ってくることを当たり前のように考え、日常に戻れることを疑ってはいなかっただろう。飛行機の乗務員は同僚を信頼し、いつも通り任務に就き、操縦室で機長は副操縦士と普段通り言葉を交わしていたのではないだろうか。そんな中、搭乗前にトイレに行けなかったことを伝え「いつでも替わります」という彼の言葉を聞いて信頼して席を立っただろう。ところが予想外のことが起こった。副操縦士の拒否によって機長は操縦室には戻れず、出発してから約50分後に飛行機は時速700㎞のスピードでフランスのアルプス山中に激突し粉々になった。
日々の挨拶は何気なく交わされることがほとんどだろうか。しかし、人生そのものは何気ないことの繰り返しとは限らない。germanwings 4U-9525の墜落事故はそのことを意識させ考えさせる。
このような突然の別れは、いつ誰の身に起こるか分からない。わたしの妹の死と母のショックが思い出される。16歳だった妹が朝学校に行くとき、母はいつも通り「神はあなたを守りますように Behüt dich Gott」という言葉(南ドイツ・カトリックの挨拶)で見送った。妹も母もいつも通り再び会えると思っただろう。「神はいつもの通り見守ってくれる」と二人は考えただろう。しかし、妹は学校に着いて間もなく急死した。このときの母のショックは10数年間続いた。
再び会えること、変わらない日常があることなどは当たり前ではなくプレゼントであると考えていることが大切だと思う。そう思えれば自他を活かせる出会い、生き生きとした挨拶が生まれるのではないか。
出来事や情報に対する自分の反応
germanwingsの事故で犠牲となった学生が通った高校、その街の市長は残された学生の心のケアを考えた。当日のニュースをできるだけ学生たちの目に触れないようにし、授業を休みにしながらも、学生は自由に登校できるようにした。休校は続いたがその間、学生が学校で「心のケア」を受けられるように「ケアチーム」を派遣した。またドイツ政府は4月17日にケルンの大聖堂で犠牲者のための追悼式をおこなうことを決めた。
事件や事故、情報に対して自分の意見をもつことは大切である。
わたしは次の二つのことが気になっている。一つは副操縦士の問題をほとんど精神医学や心理学、そして法学の問題(領域)としたことである。自死のために他者を巻き込む(殺人)事件は単純に精神医学や心理学、法学(医療者の守秘義務)の問題ではないと思うからだ。犠牲者のための追悼式、いわばグリーフケアの中心は精神医学・心理学や法学だけではなく、哲学や信仰(神学)の問題を含む。悲嘆(グリーフ)は、変えられない残酷な出来事に対する同情、連帯に基づく応答であり、尊敬の表れでもある。一方で、同級生らは報道関係者・ジャーナリスト~カメラやマイク~に絶えず囲まれることに苦しんだ。残された人々に尊敬や同情をもって寄り添えるような気持ちの繊細さや敬意が足らなかった。
日常会話の中で、相手に「どうですか」とか「どうしたの」のような言葉を掛けることは多い。これは単なる好奇心から発せられることもあるため適切でない場合もあり、不用意には使わないほうがよいだろう。特に相手のプライバシーに関することには尊敬の念を持って慎重になる必要がある。調べるような問い掛けや雰囲気からは信頼関係を生み出せない。今、その時、そこにあるものに気づき意識することが大事である。
ある時、有名な精神科医が「スピリチュアルケア」の講演をした際、「今までの話について質問がありますか」と聴衆に尋ねた。一人の僧侶が手を挙げ、立ち上がるなり怒ったような声で「具体的に話してください!」と叫んだ。彼はスピリチュアルケアの“know-how”を聞けると思ったようだ。だがスピリチュアルケアには“know-how”がない。一人ひとりは唯一な存在であって、その心、スピリットもまた唯一無二だからだ。人間を尊い存在として相手にする対象はスピリットつまり「心」の核なのである。
自身の生き方・考え方への影響
出来事・情報によって自身の生き方、考え方は大きく影響を受けるだろうか。あるいは、新聞やTVの報道に合わせて関心の対象が変わったり受けた影響が風化されたりしていくだろうか(たとえば、ISによる悲惨な出来事、キリスト者への迫害などに対して)。わたしは今回の墜落事故によって、安心のベースが人間の持っている技術や訓練などに基づく安全や安定ではなく、心、内面的な状況であることを改めて認識させられた。個人の内面的な状況、哲学に基づいた人間学や信仰は、わずかでありながらも安心のベースを作り上げる。何の保証もない人生において、信頼こそ安心の根幹となるものである。
自分の考え、知識やイメージを現実のなかで(再)確認する
習得した知識や考えなどを現実の体験のなかで磨いていくこと。たとえば、定年まで勤勉に勤めあげれば退職後に自分の思い通りの人生が迎えられるわけではなく、絶対の安全・安定は保証されていない。 従って、見て、聞いて、感じることに敏感になり、自分の体験や反応に正直になることが大切である。
絶えず学び続ける
自分の生きる目的、目標をできるだけ明確にし、日々の体験によって自身を磨くことは人生の中心課題であろう。親や学校で言われたから、学んだからと言っても、それが自分のものになるとは限らず、日常生活の体験によって確かめ、必要に応じて学び直す必要がある。例えば、昭和の時代の信念と21世紀のそれは異なるだろう。習慣や伝統、「ふつうはこうする、日本人ならこうする」などと言う生き方で納得できる人生が送れるかどうかは疑問である。
自分に対して影響を与えるものを、自分を困らせたり不安にさせるものとして受け止めるのではなく、自分を生かすための刺激として受け取るなら建設的である。
たとえば、
・年齢を重ねることで生じる否定的な面よりも重ねたことによって日々をより深く味わえること
・ニュースをただ読むだけではなく、考え、生きるためのきっかけになるよう意識する
・知識量よりも知識を深めること、知恵を得ること
歳を取る=人生が豊かになる、とは言いがたい。しかし日々、気づきを得られるような敏感さがあれば幾つになっても内面性は豊かになり得る。特に加齢による健康状態の変化は初体験であることが多いため、これまでの固定観念を破り新たな要素を発見できる可能性がある。
今、わたしにできること
最近、ある同僚と電話で話したとき、彼は「わたしたちは今『〇〇歳』です」と繰り返し話題にした。確かに今、その通りの年齢である。だが、今どう生きているか、人生から学んだことが今の生活を有意義に過ごすための知恵/知識になっているか、などは話題にならなかった。一方、次の一点は記憶に残った。それは老人ホームや施設に入る時期をできるだけ延ばすために今もサッカーとバレーボールを継続していることだった。
ある日、近所の男性が「今日は良い天気ですね」と挨拶してくれた。そのときわたしは「天気には関心はないが、目標があります」と答えると彼は驚いた表情をした。このとき、わたしは “今日の晴天の有り難さ”“この男性との出会い”つまり、いまここにあるものにはあまり意識を向けていなかった。日々、価値ある目標を持っていることがすべてではないと反省している。同時に天気がよくても生きる目標がなければ虚しいのではないかとも思う。
今を生きるためには、今、このときを意識し敏感になることである。特に相手が病を患っているとき、 ”今”その人にとって可能な事柄を発見しようとする心構えは大事である。例えば、スピリチュアル・ケアワーカー(SCW)であれば、アドバイスをすることではなく、ゲスト(G/患者)にとって今可能なことを一緒に発見することはその一つの例である。
G:「わたしは何もできない。もうだめです」と言うとき、
SCW:「『何もできない』と仰いますが、それをわたしに話してくれたことはできることの一つですね」と具体的なことを伝えることができる。
「何もできません」や「自分はだめ」というよりも自他のプラスの面に関心を向ければよい。互いの長所を発見し、それを認め分かち合うなら励ましになる。自他にない能力を要求することは無意味であると同時に自他の能力を認めず、使わずに生きるのはもったいない。
想像と現実
ある医学部の教授が重病の学生を訪問したときの会話。
教授:「(病気から生じてくる困難など)よく分かっていますよ」
学生:「先生は何も分かりません」と怒って答えた。
きれい事や曖昧な言葉は関係を強めることにはならず、かえって壊してしまう。
私事になるが、ある日知人と電話で話した時、相手と私の意見はかみ合っていなかった。そのとき相手が「私はあなたの希望をよく分かっています」と言ったことが気になった。私自身が自分の計画を明確にできていなかったのに、どうして相手がこう言えるのだろうかと。会話ではまず相手の考えていることを正確に聴くことが必要である。そして私と一緒にその計画を歩めなくても「私達の進もうとしているところは同じ所を目指していると思います」と言われたときの違和感は記憶に残っている。「同じ所を目指している」と言う前に、相手(私)の目標や考えを再確認してはどうだろうか。
自他の人生を深める関係
人間は関係による存在であって関係なしには生きられない。関係の始まりは家族であり、その中で互いに関係を身に付け深めていく。しかし、家族は自然に出来上がってくるものではない。しかも関係は完結するものではなく、絶えず流動的であり育成を必要とする。それはまず自分との関係から始まる。自分の長所と価値観(=自分にとって大切なこと)を明確にした上で、長所はその価値観を追求するために利用すればアイデンティティーが生じてくる(注意したいのは、自分の長所は活かすことができても無限ではないこと。無駄遣いせず、自分がほんとうに大切だと思うことに活かすべきである)。
共に生きようとするとき、互いに好きであることが前提ではなく、互いの価値観と長所を最小限でも知り認め合うことが重要である。でなければ互いの信頼を失った時にはその絆が切れてしまう。共に生きることは互いを尊敬し合う努力と協力という重労働が絶えず要求される。
尊敬し合う関係の中での意見交換は互いを育む。活かし合う健全な関係は“自分自身”である人間同士としての関わりである。ちなみにITなどから得られる情報は便利であるが、同時にそれらは外部からくるもの(価値観の違い!)であり、自分自身のものではないことを意識すべきである。
困難から学ぶ~ある母親の生きるコツ~
「息子と主人が亡くなった当時、残された家族は病気で弱ったおばあちゃんと精神の病気を持つ娘と私の三人暮らしでした。息子が亡くなったとき、娘は短大の2年生になったばかりでした。そのときのショックで本人は大学に戻ろうと必死でした。しかしある日突然大学にいく準備をして出かけようとしても足が進まなくなり、そして言葉も出なくなりました。その頃、主人はまだ元気でしたので、車を運転して病院に送りましたが、娘は発病したのでした。
主人が亡くなってから、運転手は私です。ペーパードライバーだったので自動車教習所で補習を受けるとき、教官は私の運転を見て「こんな年齢になって運転する必要があるかい。」と。しかし私は安全に運転出来なければ家族を守れません。安全運転は必要です。生活に欠かせないものです。交通量の少ないうちに朝早く起きて運転の練習に励みました。
こうしている頃も娘の病はなかなか治りません。娘を大学に帰したい、社会人にしたい、と一人でもがいていました。
こんな時、悲しみは怒りに変わりました。田舎なので田んぼを抜けて川端まで走り抜け、しゃくりあげてくる涙をどうすることも出来ず、石ころをありったけの力で投げつけていました。砂利を拾っては投げ、拾っては投げ、しっかり川にぶつけていました。どの位時間がたったのか覚えていません。思いっきり投げつけているうちに少し落ち着いたのでしょう。疲れ果てたのかもしれません。その当時のことはあまり覚えていませんが、幼子が地団太を踏んで自分の気持ちを訴えるようなものだったのでしょうか?」
私として命を生き切る ~最後まで私は私!~ 後20年位生きられると望んでいた婦人
「私は短気で怒りっぽい人間です。ですから、カチンときたら、相手がどなたでも、カチンときたことについて伝えます。カチンとくるのにはそれなりの理由があるからです。それで、相手の方としっかり意見を交換し合います。決裂することもありますが、意見交換のなかで、互いに相手の違いを認めて理解しあうことができれば大きな成長ができます。うれしいです。この私の性質は、死ぬまで変わらないと思います。死んでからもかな?
私は人とも、自分とも闘い続けると思います。それが私の生き方だからです。だから、がんとも闘い続けると思います。私は最後まで自分の命を生き切りたいのです。いただいた命を余すところなく生き切りたいのです。がんで余命の少ない私を、『この人は死ぬ人だ』と見てほしくありません。そういう見方は、『この人は死ぬ人、私は生きる人』という区分けをして、差別化することだからです。だって、そういうのなら、すべての人が死ぬのですよ。また、私は、『まだ生きている人』ではありません。『生きている人』です。『今を生きている人』です。あなたと同じです。私は、生きています。死を待つ人ではなく、生きている人としてかかわって下さい。もし、死の数日前に、ベッドサイドにあきらめ顔の看護師が来たら、私はそう言うでしょう。それが私の叫びです。私がよりよく生きるための援助を最後までしてほしいのです。よりよく生きることは、よりよく死ぬことであり、よりよく死ぬことは、よりよく生きることです。同じ一つの命です。私の生のベクトルは、未来を指さしています。生のベクトルは死でプッツンと途切れるのではなくて、この世での死後もさらに未来に向かっているのではないかと思います。」
人生の主人公は“私”
自分の人生を誰かが代わりに生きることはできない。人生の主人公は自分自身でしかなく、その人生を「私」として全うするように促されている。他者の心と魂の叫びに応えるには、まず自分自身の心と魂の叫びに応えることから始まると言ってよい。他者へのスピリチュアルケアは自分自身へのスピリチュアルケアから始まる。他者のことではなく、まず自分自身の課題であるからだ。
by pastoralcare-jp
| 2015-05-11 12:17
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