2014年 02月 03日
スピリチュアルケアの勉強室 #21 2014年1月 |
医療界における信教の自由
2014年、明治神宮への初詣者数は三が日で300万人以上。全国で8万以上の神社での初詣者数はどのくらいになっただろうか。初詣をする理由として主に無病息災や商売繁盛などを祈願することがあげられ、学問の神様であれば合格祈願であろう。多くの人にとって初詣は正月の恒例行事、あるいは単なる習慣なのかも知れない。だが、ある人々にとっては無意識な中に目には見えないけれど手を合わせ、心の中で感謝や希望を伝える存在/対象があるのではないか。初詣はこの事実を意識しスピリチュアルケアの有益さを追求、考えてもらうきっかけになるのではないか。
初詣に行った人々のなかには「神」「超自然者」の存在を確信している人もいる。このような人々は病気のとき~とくに生死に関わる場合~、神を頼り、神からの助けを必要とするだろう。今年、正月を迎えた人のうち100万人以上は、来年の正月を迎えることはできない。今日生きている人のうち、3千人は明日を迎えることができない。そのなかには、神/超自然者を信じて生きてきた人もいるはずだ。その人たちの最期にそのような信仰からの援助があるとは言いがたい。現在、85%の人は最期を自宅で迎えたいと考えているが、現実は在宅での看取りは、わずか20%足らずだ。
初詣だけでなく冠婚葬祭の諸行事が教会、神社、寺院などの宗教施設で行われていることは、日本の人々が心/霊/魂の存在を日常意識していることを表している。だが、最も必要とする心のケアや意義を意識せず、提供しない/できないのは多くの病院や施設であり、心/霊/魂の存在は自然科学の立場から容認されていない。在宅での看取りの提供は可能であっても、そのためのスピリチュアル・ケアワーカーが不足している。
日本国憲法第20条、すなわち、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」。そして国連人権宣言第18条「・・・すべて人は思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。・・・」であれば、患者の信教の自由は保障され、入院中でも祈ること、病院内外での礼拝への参加、心/魂/霊への援助(スピリチュアルケア)、宗教による戒律の遵守(例:痛み止めや輸血の拒否)があって良いはずである。病院や医療関連施設は、このような信教上の行為を可能にする義務及びすべての患者に対してそのような信教上の自由を保障する義務を持っているのである。もちろん独断的な信教上の行為については明確な説明をする必要がある。
医療界における日本国憲法第20条と国連人権宣言第18条の実現はスピリチュアル・ケアワーカーの信教の自由に対する明確な認識と信念にかかるところが大きい。
ウァルデマール・キッペス
2014年、明治神宮への初詣者数は三が日で300万人以上。全国で8万以上の神社での初詣者数はどのくらいになっただろうか。初詣をする理由として主に無病息災や商売繁盛などを祈願することがあげられ、学問の神様であれば合格祈願であろう。多くの人にとって初詣は正月の恒例行事、あるいは単なる習慣なのかも知れない。だが、ある人々にとっては無意識な中に目には見えないけれど手を合わせ、心の中で感謝や希望を伝える存在/対象があるのではないか。初詣はこの事実を意識しスピリチュアルケアの有益さを追求、考えてもらうきっかけになるのではないか。
初詣に行った人々のなかには「神」「超自然者」の存在を確信している人もいる。このような人々は病気のとき~とくに生死に関わる場合~、神を頼り、神からの助けを必要とするだろう。今年、正月を迎えた人のうち100万人以上は、来年の正月を迎えることはできない。今日生きている人のうち、3千人は明日を迎えることができない。そのなかには、神/超自然者を信じて生きてきた人もいるはずだ。その人たちの最期にそのような信仰からの援助があるとは言いがたい。現在、85%の人は最期を自宅で迎えたいと考えているが、現実は在宅での看取りは、わずか20%足らずだ。
初詣だけでなく冠婚葬祭の諸行事が教会、神社、寺院などの宗教施設で行われていることは、日本の人々が心/霊/魂の存在を日常意識していることを表している。だが、最も必要とする心のケアや意義を意識せず、提供しない/できないのは多くの病院や施設であり、心/霊/魂の存在は自然科学の立場から容認されていない。在宅での看取りの提供は可能であっても、そのためのスピリチュアル・ケアワーカーが不足している。
日本国憲法第20条、すなわち、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」。そして国連人権宣言第18条「・・・すべて人は思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。・・・」であれば、患者の信教の自由は保障され、入院中でも祈ること、病院内外での礼拝への参加、心/魂/霊への援助(スピリチュアルケア)、宗教による戒律の遵守(例:痛み止めや輸血の拒否)があって良いはずである。病院や医療関連施設は、このような信教上の行為を可能にする義務及びすべての患者に対してそのような信教上の自由を保障する義務を持っているのである。もちろん独断的な信教上の行為については明確な説明をする必要がある。
医療界における日本国憲法第20条と国連人権宣言第18条の実現はスピリチュアル・ケアワーカーの信教の自由に対する明確な認識と信念にかかるところが大きい。
by pastoralcare-jp
| 2014-02-03 15:47
| 勉強室