2011年 01月 21日
スピリチュアルケア誌50号 2011年1月 |
年頭所感 2011
新年に信念 生きる目標
始めに
昨年7月、足立区で都内最高齢の111歳とされていた高齢者がミイラ化した遺体で見つかった事件を契機に、日本中に所在不明な百歳以上の人たちが多数いることが判明して、日本社会は「無縁社会」と名付けられた。更に年末、朝日新聞は“家族”ではなく「孤族の国」と名付けた記事を連載している。*1 ちなみに1998年以来毎日80人を超す自死者(年に30,000人以上)があり、自死予備軍を含めればその二倍の数となる。日本はいわば「自殺大国」であることは滅多に新聞の見出しに挙がらない。
周囲を見る目
最近、「この国で、10年以上の間、毎日80人を超す人々が自分の命を自分で絶ち、…少なくありません。」という「センターの使命を果たすためのたすけを願う祈り」の中で、自死を取り上げたことをセンター会員の一人に述べたとき、「わたしの周りにこうした人はいない」と言われたときのショックは大きかった。社会や周囲の状況を見ていないのだろうか。臨床パストラルケアは入院している人々だけにではなく、自分の周りの人々の心・霊・魂の叫びを聞き取ることである。私事だが、元旦の午前9時に電話が鳴った。「あー、今日も働いていますね。実は…」と、病気との闘いを聞かせてくれた。年賀状も人間同士のニーズを叫んでいる。“わたしには関係、それがほしい!”携帯電話の使い主の大部分も同様であろう。“関係がほしい。一人では寂しい。”わたしたちセンター会員の力をそこに活かせるチャンスがある。少なくとも道で出会う見知らぬ人への挨拶は、病室を訪ねたときの挨拶がほんものになるための手段の一つになり得る。
スピリチュアルなパワー
昨年末、川崎市の幸市民会館での市民エンパワーメント研修「“家族で”から”地域で“―皆で見守る・ともに支える―」において、臨床パストラルケアを紹介させてもらった。その目的は人間(社会)が生きる/活かせる場になるためである。そのためには生きる力の発見と把握が不可欠な条件であろう。
人間は脳を含めた身体だけではなく、心・霊・魂からなっている存在である。忠実さや誠実さ、人生の意味や目標、努力する動機、質素なライフスタイル、積極的に分かち合って共に生きること、などは心・霊・魂から生じてくるエネルギーなのである。こうしたスピリチュアルな事柄は、身体的な手段(例:飲食やイベント)で養ったり、薬物や手術で治したり、グレードアップしたりするようなものではない。
昨年のチリ鉱山事故。暗闇の中で69日間生きぬいた33人の作業員の「埃に 誇り ドラマ」はこうした内面的なパワーを物語っている。8時間毎に睡眠、自由時間、仕事とした一日のスケジュールの中で、昼と夕方(12時と18時)の祈る時間は彼らにとって唯一の力になったという。人間のこうした厳しい状況を切り抜けて生き残る力は、考える能力や落ち着き、連帯意識、信仰や希望なのである。考える能力は知的、落ち着きは主に心理的であるが、連帯感、信仰や希望はスピリチュアルなパワーである。彼らは気持ちではなく生きる意志・使命によって生き残ったのであろう。
スピリチュアルパワーの育成と充電
最初に強調したい。現代の日本社会を意識して臨床パストラルケアを追求する者は、自分の気持ちや人間関係の善し悪しに左右されず、自分の使命感を追及し続ける者であるはずだ。スピリチュアルケアを提供する使命感をもつ者は、自分自身のスピリチュアルな面を意識し明確にしながら、絶えず育成していくことは当然である。資格認定課程の研修で重要な課題は「人生の歩み」の作成と信頼できるグループでの分かち合いである。自分が生きてきた道を再認識することによって自分を活かせる内面的なパワーに気づき、スピリチュアルケアへの関心のきっかけおよび今後の人生の目標を形成することができるからである。病む方々を活かせる相手になる条件はだれかの真似ではなく、「本(物)者の自分」であること。ちなみにそれは「完璧な自分」を意味するのではない。
そのために次の実存的な自問自答は、毎年繰り返される新年ではなく「新人」による「新年」を形成するきっかけになり得るであろう。即ち
・わたしは____(の)ために生きる
・わたしは____(の)ために臨床パストラルケアを追求する
・わたしは____(の)ために苦しむ
・わたしは____(の)ために死ぬ。
この問いかけに答えるのは「お正月の楽しい気分」ではなく、人生の(新)舵いわば信念になり得る。使命、天職やライフワークの確信にもなる。ちなみに、新年に生と死の極限状態にいる重篤者にとって上述の問いかけは「まさに今のテーマ」であることを言い添える。(お正月に患者訪問するような時にはこれを意識するとよい。)
以下はわたしが臨床パストラルケアを意識するために答えたものである。
・人生を通して、わたしを相手にしてくれるイエス・キリストを知り、その方のために生きたい
・人間の品位は脳を含む身体的な部分だけではなく心・霊・魂のスピリチュアルなパワーに因るので、そのパワーを活かすために臨床パストラルケアを追求し、その必要性を社会に訴えたい
・苦しみたくないが、人間として成長し、生きるために苦しむことは不可欠な要因だと確信している。苦しみをコントロールすることに賛成するが、コントロールは薬物と手術だけに限られない。心・霊・魂の苦しみをコントロールできる力は偉大であり、スピリチュアルケアはこうしたパワーを活かす行為である。そのためには苦しんでもよい。
わたしは“治す主(ぬし)”ではなく“癒し主(ぬし)”*2 であるイエス・キリストのために生き、死にたい。なぜならわたしにとって癒し主であるイエス・キリストは臨床パストラルケア、スピリチュアルケアの中心であり、保証人であるからである。わたしは「Jesus the Healer」に生きる力、目標を追求するための支えを願う者でもある。
最後に
病院における的確な臨床パストラルケアのメリットとして、アメリカのメリーランド大学メディカルセンターに掲示されている事柄を紹介しよう。*3
「過去50年間の研究に因れば、人間の健康と幸福感はスピリチュアル・ニーズが適切に対応されることにより良くなってくることが示されている。プラスになる事柄の例は以下のような事である。」
・入院期間が短縮される。
・痛みがより良くコントロールされる。
・入院して良かったなと思うようになる。
・治療を完遂しようという意欲が増してくる。
・血圧や心拍数のような循環器系の問題がよりよくコントロールされる。
・幸福感が増してくる。
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1: インターネットwww2.ttcn.ne.jp/honkawa/1163.html
朝日新聞12月26日~28日「孤族の国」の男 55歳、軽自動車での最期;家族に頼れる時代の終わり;失職、生きる力も消えた;39歳男性の餓死
2: 病気を治しても必ずしも心は癒されない。逆に心が癒されたとき、病気であっても生きられる(例:安心して死を迎える=受容)
3: University of Maryland Medical Center www.umm.edu/pastoral_care/
新年に信念 生きる目標
ウァルデマール・キッペス
始めに
昨年7月、足立区で都内最高齢の111歳とされていた高齢者がミイラ化した遺体で見つかった事件を契機に、日本中に所在不明な百歳以上の人たちが多数いることが判明して、日本社会は「無縁社会」と名付けられた。更に年末、朝日新聞は“家族”ではなく「孤族の国」と名付けた記事を連載している。*1 ちなみに1998年以来毎日80人を超す自死者(年に30,000人以上)があり、自死予備軍を含めればその二倍の数となる。日本はいわば「自殺大国」であることは滅多に新聞の見出しに挙がらない。
周囲を見る目
最近、「この国で、10年以上の間、毎日80人を超す人々が自分の命を自分で絶ち、…少なくありません。」という「センターの使命を果たすためのたすけを願う祈り」の中で、自死を取り上げたことをセンター会員の一人に述べたとき、「わたしの周りにこうした人はいない」と言われたときのショックは大きかった。社会や周囲の状況を見ていないのだろうか。臨床パストラルケアは入院している人々だけにではなく、自分の周りの人々の心・霊・魂の叫びを聞き取ることである。私事だが、元旦の午前9時に電話が鳴った。「あー、今日も働いていますね。実は…」と、病気との闘いを聞かせてくれた。年賀状も人間同士のニーズを叫んでいる。“わたしには関係、それがほしい!”携帯電話の使い主の大部分も同様であろう。“関係がほしい。一人では寂しい。”わたしたちセンター会員の力をそこに活かせるチャンスがある。少なくとも道で出会う見知らぬ人への挨拶は、病室を訪ねたときの挨拶がほんものになるための手段の一つになり得る。
スピリチュアルなパワー
昨年末、川崎市の幸市民会館での市民エンパワーメント研修「“家族で”から”地域で“―皆で見守る・ともに支える―」において、臨床パストラルケアを紹介させてもらった。その目的は人間(社会)が生きる/活かせる場になるためである。そのためには生きる力の発見と把握が不可欠な条件であろう。
人間は脳を含めた身体だけではなく、心・霊・魂からなっている存在である。忠実さや誠実さ、人生の意味や目標、努力する動機、質素なライフスタイル、積極的に分かち合って共に生きること、などは心・霊・魂から生じてくるエネルギーなのである。こうしたスピリチュアルな事柄は、身体的な手段(例:飲食やイベント)で養ったり、薬物や手術で治したり、グレードアップしたりするようなものではない。
昨年のチリ鉱山事故。暗闇の中で69日間生きぬいた33人の作業員の「埃に 誇り ドラマ」はこうした内面的なパワーを物語っている。8時間毎に睡眠、自由時間、仕事とした一日のスケジュールの中で、昼と夕方(12時と18時)の祈る時間は彼らにとって唯一の力になったという。人間のこうした厳しい状況を切り抜けて生き残る力は、考える能力や落ち着き、連帯意識、信仰や希望なのである。考える能力は知的、落ち着きは主に心理的であるが、連帯感、信仰や希望はスピリチュアルなパワーである。彼らは気持ちではなく生きる意志・使命によって生き残ったのであろう。
スピリチュアルパワーの育成と充電
最初に強調したい。現代の日本社会を意識して臨床パストラルケアを追求する者は、自分の気持ちや人間関係の善し悪しに左右されず、自分の使命感を追及し続ける者であるはずだ。スピリチュアルケアを提供する使命感をもつ者は、自分自身のスピリチュアルな面を意識し明確にしながら、絶えず育成していくことは当然である。資格認定課程の研修で重要な課題は「人生の歩み」の作成と信頼できるグループでの分かち合いである。自分が生きてきた道を再認識することによって自分を活かせる内面的なパワーに気づき、スピリチュアルケアへの関心のきっかけおよび今後の人生の目標を形成することができるからである。病む方々を活かせる相手になる条件はだれかの真似ではなく、「本(物)者の自分」であること。ちなみにそれは「完璧な自分」を意味するのではない。
そのために次の実存的な自問自答は、毎年繰り返される新年ではなく「新人」による「新年」を形成するきっかけになり得るであろう。即ち
・わたしは____(の)ために生きる
・わたしは____(の)ために臨床パストラルケアを追求する
・わたしは____(の)ために苦しむ
・わたしは____(の)ために死ぬ。
この問いかけに答えるのは「お正月の楽しい気分」ではなく、人生の(新)舵いわば信念になり得る。使命、天職やライフワークの確信にもなる。ちなみに、新年に生と死の極限状態にいる重篤者にとって上述の問いかけは「まさに今のテーマ」であることを言い添える。(お正月に患者訪問するような時にはこれを意識するとよい。)
以下はわたしが臨床パストラルケアを意識するために答えたものである。
・人生を通して、わたしを相手にしてくれるイエス・キリストを知り、その方のために生きたい
・人間の品位は脳を含む身体的な部分だけではなく心・霊・魂のスピリチュアルなパワーに因るので、そのパワーを活かすために臨床パストラルケアを追求し、その必要性を社会に訴えたい
・苦しみたくないが、人間として成長し、生きるために苦しむことは不可欠な要因だと確信している。苦しみをコントロールすることに賛成するが、コントロールは薬物と手術だけに限られない。心・霊・魂の苦しみをコントロールできる力は偉大であり、スピリチュアルケアはこうしたパワーを活かす行為である。そのためには苦しんでもよい。
わたしは“治す主(ぬし)”ではなく“癒し主(ぬし)”*2 であるイエス・キリストのために生き、死にたい。なぜならわたしにとって癒し主であるイエス・キリストは臨床パストラルケア、スピリチュアルケアの中心であり、保証人であるからである。わたしは「Jesus the Healer」に生きる力、目標を追求するための支えを願う者でもある。
最後に
病院における的確な臨床パストラルケアのメリットとして、アメリカのメリーランド大学メディカルセンターに掲示されている事柄を紹介しよう。*3
「過去50年間の研究に因れば、人間の健康と幸福感はスピリチュアル・ニーズが適切に対応されることにより良くなってくることが示されている。プラスになる事柄の例は以下のような事である。」
・入院期間が短縮される。
・痛みがより良くコントロールされる。
・入院して良かったなと思うようになる。
・治療を完遂しようという意欲が増してくる。
・血圧や心拍数のような循環器系の問題がよりよくコントロールされる。
・幸福感が増してくる。
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1: インターネットwww2.ttcn.ne.jp/honkawa/1163.html
朝日新聞12月26日~28日「孤族の国」の男 55歳、軽自動車での最期;家族に頼れる時代の終わり;失職、生きる力も消えた;39歳男性の餓死
2: 病気を治しても必ずしも心は癒されない。逆に心が癒されたとき、病気であっても生きられる(例:安心して死を迎える=受容)
3: University of Maryland Medical Center www.umm.edu/pastoral_care/
by pastoralcare-jp
| 2011-01-21 15:20
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