2010年 02月 02日
スピリチュアルケア誌46号 2010年1月 |
<2010年 年頭所感>
「あけましておめでとうございます」、「I wish you a happy new year!」。年始の挨拶は真実な祈願であるが、現実はそのとおりではない。1月12日に起きたハイチの大地震や15年前の1月17日に起きた阪神大震災は、そのことを新たに意識させられた。「よい年」「a happy year」とは何だろうか。わたしには説明し納得できるような回答がない。だが、できることは被害者とその方々を援助してくれる人々に、生き続けられる心身ともに力があるように祈ること、寄付すること、そして人間が平等でないこと、自分が恵まれていることなど、当たり前と思っていることが当たり前ではないことを意識し感謝することであろう。ハイチの大地震はわたしの信仰、スピリチュアルケアのありさまを問いかけている。
意識的に生きる人
40年ほど前、アメリカでパストラルカウンセリングを勉強していたとき、「カウンセラーはクライアントを変えるのではなく“社会の変革者(change agent)”になるべき」と言われるのを度々耳にしたことが印象に残っている。クライエントのすべてが社会における犠牲者ではないが、社会構造上の問題から苦しんでいる人が少なくないことも事実である。そういう意味でも、臨床パストラル・ケアワーカー(CPCW)はまず日々の生活を意識的に生きる者であるべきだろう。
センターの“使命を果たすための助けを願う祈り”でも幾つかの助けを必要としている人々に焦点を合わせている。
「この国で、10年以上の間、毎日80人を超す人々が自分の命を自分で絶ち、その他にも3、000人あまりの人がこの世から旅立っています。登校できない人や無職にされた人、DVにあった人、ホームレス、離婚した人、寝たきりの人たち、日々の繰り返しの中で人生の生きる意味を見出せない人、施設や病院で死に直面して苦しんでいる人などは、少なくありません。これらの人々は周りからの助けを必要としています。」
意識的に生きる人はこれらの事実を日常体験して知っているのではないか。最近、がんの恐れがあることを知った若い母親がその怖さを知らせて来た。また、がんで病床にある40代の母親が「後3年は(楽しく)生きたい」と言った言葉が耳に残っている。先月、私は40年来の親友に「あなたが居るのは善いことです」とクリスマスの喜びや希望を正直に伝えた。すると、その彼女(70代)から「倒れたまま死んでしまえたらいいのに」ということばが跳ね返ってきた。 確かに、彼女の主人が2ヶ月前に旅立たったことはよく知っていたが、その返事には驚ろかされた。この友人は今までの70年間、経済的に恵まれて楽しく生活を送ってきたし、今も経済的な心配はないが子どもたちとの関係で悩んでいる…。いつだったかこの友人が同年齢のわたしの弟に、「正直に言うと、わたしは何のために生きているか分からない」と打ち明けたと聞かされたことばも記憶に残っている。
社会のさまざまな出来事はインターネットやDVDからも教えられる。その中の「水子」のドキュメンタリーでは、一人のある母親が20年間毎日お寺に拝みに来て、「悪いことをすればこどもに罰せられる」と言う。
子どもがセックスの快楽や臓器移植のために悪用されているタイでの“闇のこどもたち”のDVDを見た。ある研修会中、このDVDを参加者に見せようとしたとき「見たくない」と断られたことや、「慰安婦」のことも聞きたくなかった、というある参加者の反応も印象に残っている。
CPCWの仕事場
センターの使命を果たすための助けを願う祈りは次にように続く。
「私たちはそれぞれ豊かな内面性を与えられています。けれども、それを十分に活かしていません。私たちセンターのメンバーは、一人ひとりの中に内在している心の力を発見し、それを活かす使命を頂いていることを自覚しています。どうか、私たちの使命と目標への自覚を強め、それを力強く追究し実行し、勇気をもって社会において働き続けるための英知、ビジョン、忍耐、支えをお与えください。」
上述した心と魂の痛みや叫びに対する薬物や手術はなく、心理学や哲学、信仰や宗教による的確な指導や援助も殆どないと言っても過言ではない。 CPCWは、こうした痛みに苦しむ人と関わり、進んで共に癒しの糸口を探し続けることができる。
CPCWは、このように社会からも要求される者であり、日常生活の場でも自分なりにスピリチュアルケアを実践できるであろう。センターのメンバーの使命や天職はまさにそれである。CPCWは完璧な者ではないが、役に立ちたい、援助したいという希望をもちつつ努力し続けるなら、何らかの助けができるに違いない。
大切なのは明確な目標をもち、自分の能力やタレントを活かして、毎日の闘いを勇敢に継続することである。自分をはじめとして社会や国家、世界も完璧ではない。それでも希望を持って、改善へと行動し続けることが鍵である。
昨年12月、コペンハーゲンで行われたCOP15 が期待通りに進まなかったのは事実である。だが温室効果ガス排出量の削減は、将来いつか取り扱えば済むという問題ではなく、人類が今後生き残れるかどうかの切実な問題であり、現在の最優先課題であろう。中国とUSAは世界の40%の温室効果ガス排出量の国、それらにインド・ロシア・日本とドイツが続いている。温暖化は政府間の問題だけでなく、わたしたち一人ひとりの課題である。そのためには知性だけでなく、心と魂の働きが要求されている。温暖化は個人のスピリチュアルな課題の一つであり、その取り組みはまず自分自身から始めなくてはならない。資源や原料を大切にすること、節電や節水、車の使用やテレビの時間の制限など、便利で習慣化した生活様式に不便さを与えるようなことを実践しなくてはならない。
センターのメンバーは、社会の心と魂のエネルギーを活かすアバンギャルドであって欲しい。わたしたちは人間として一人ひとりの内面性を活かし、責任を持って精一杯最期まで生きられることを目指している。心と魂のケア、いわばスピリチュアルケア/スピリチュアリティは、制限された厳しい生活からの逃げ道ではなく、生と死を含めた厳しい現実を生きることへの援助である。全人的な生き方には、心と魂を活かすことが不可欠な要素なのである。
スピリチュアルなパワー
昨年11月、マスメディアで知ったベルギーの男性(現在46歳)のドキュメントは、人間のスピリチュアルなパワーの偉大さを再認識する刺激になった。彼は1983年に交通事故に遭い、それ以来23年間昏睡状態(植物状態)にあると診断されたが、実際は意識があり、麻痺状態でコミュニケーションがとれないだけであった。彼の脳は正常で、ただそれを表現することができなかった。「叫びたかったけれど、声が出なかった」と言う。
こういう状況でありながらも生きられた一つの手段は“メディテーション”であり、自分の実際の状況が理解されたときは“第2の誕生のようであった”と、彼は特殊なコンピューターを使ってこれらのメッセージをタイプした。23年間身体だけに閉じ込められた彼、長年にわたって希望を持ち続けながら治療や検査を継続した医療従事者、そして誤診を公に発表したこと、等々は、人間の内面的なパワーと可能性を物語っている。ちなみに医療従事者が、“植物状態”のラベルを付けられた患者は“治療の対象にはならないものと見る”傾向を正直に反省したこともスピリチュアルなパワーの現れであると評価したい。
スピリチュアルケアはまず自分自身のスピリチュアルな生き方から始まる。
自分は
どこからきたのか
どこに向かって生きているのか
自分の生の元は何/だれであろうか。
人生の目標は何であるか
その目標に向かって生きて/行っているか。
これらの問いに解決はできなくても、絶えず自答自問をし続けることは他者へのスピリチュアルケアの基礎である。いわば“ともに生きることの信任状・資格証明書”でもある。
センターへのビジョン
当センターは今年で満12歳になった。A会員は14団体、B会員は377名、資格認定者の臨床パストラル・カウンセラーは70名、臨床パストラル・ケアワーカーは10名、臨床パストラルケアは2名(??)、資格認定研修中は40名である。未資格認定者としてスピリチュアルケアを行っているメンバーは別として、現在活躍中の認定臨床パストラル・カウンセラーは40名である。
センターの次のステップとして次の事柄を提案する。
・センターの使命を一人ひとり意識化する。“センターの使命を果たすための助けを願う祈り”はそのためのガイドラインと援助になる
・センターのメンバーはセンターの使命を追究できるように、ブロックごとに尊敬に基づく連帯感(相互の関係)を強める。ブロックは、仲良し会やそのつながりの絆を好き嫌いとか上下関係、操作的ではなく、一人ひとりを内面的に活かし合う団体となるように。
ブロックのメンバーと関わることは患者訪問のよい訓練になりうる。(患者との出会いは好き嫌いではなく、本物同士との出会い、触れ合い!であることからも理解できる)
・資格認定者の働く場を獲得する。
例えば、NPOスピリチュアルケア東京のように、医療・福祉に携わる地域の団体との連携や、ワーカーの派遣事業を行う。資格認定者である看護師がイニシアティブをとって看護ステーションを設立し、あるいはその中でワーカーとして働く。相談所の設立(仙台「共に歩む会・萩」)など
・現在のNPOの次のステップとして学院を設立する。(NPO設立以前から目指している、公にアピールするための研修/研究/派遣できる機関)
・(資格認定者を含む)休眠会員への働きかけ
・会員一人ひとりは社会の内面性を活かそうとするセンターのメンバーとしての自覚と誇りをもつこと
臨床パストラル・ケアワーカーは
“社会を変革する人 Change Agent” たるべし
W・キッペス
「あけましておめでとうございます」、「I wish you a happy new year!」。年始の挨拶は真実な祈願であるが、現実はそのとおりではない。1月12日に起きたハイチの大地震や15年前の1月17日に起きた阪神大震災は、そのことを新たに意識させられた。「よい年」「a happy year」とは何だろうか。わたしには説明し納得できるような回答がない。だが、できることは被害者とその方々を援助してくれる人々に、生き続けられる心身ともに力があるように祈ること、寄付すること、そして人間が平等でないこと、自分が恵まれていることなど、当たり前と思っていることが当たり前ではないことを意識し感謝することであろう。ハイチの大地震はわたしの信仰、スピリチュアルケアのありさまを問いかけている。
意識的に生きる人
40年ほど前、アメリカでパストラルカウンセリングを勉強していたとき、「カウンセラーはクライアントを変えるのではなく“社会の変革者(change agent)”になるべき」と言われるのを度々耳にしたことが印象に残っている。クライエントのすべてが社会における犠牲者ではないが、社会構造上の問題から苦しんでいる人が少なくないことも事実である。そういう意味でも、臨床パストラル・ケアワーカー(CPCW)はまず日々の生活を意識的に生きる者であるべきだろう。
センターの“使命を果たすための助けを願う祈り”でも幾つかの助けを必要としている人々に焦点を合わせている。
「この国で、10年以上の間、毎日80人を超す人々が自分の命を自分で絶ち、その他にも3、000人あまりの人がこの世から旅立っています。登校できない人や無職にされた人、DVにあった人、ホームレス、離婚した人、寝たきりの人たち、日々の繰り返しの中で人生の生きる意味を見出せない人、施設や病院で死に直面して苦しんでいる人などは、少なくありません。これらの人々は周りからの助けを必要としています。」
意識的に生きる人はこれらの事実を日常体験して知っているのではないか。最近、がんの恐れがあることを知った若い母親がその怖さを知らせて来た。また、がんで病床にある40代の母親が「後3年は(楽しく)生きたい」と言った言葉が耳に残っている。先月、私は40年来の親友に「あなたが居るのは善いことです」とクリスマスの喜びや希望を正直に伝えた。すると、その彼女(70代)から「倒れたまま死んでしまえたらいいのに」ということばが跳ね返ってきた。 確かに、彼女の主人が2ヶ月前に旅立たったことはよく知っていたが、その返事には驚ろかされた。この友人は今までの70年間、経済的に恵まれて楽しく生活を送ってきたし、今も経済的な心配はないが子どもたちとの関係で悩んでいる…。いつだったかこの友人が同年齢のわたしの弟に、「正直に言うと、わたしは何のために生きているか分からない」と打ち明けたと聞かされたことばも記憶に残っている。
社会のさまざまな出来事はインターネットやDVDからも教えられる。その中の「水子」のドキュメンタリーでは、一人のある母親が20年間毎日お寺に拝みに来て、「悪いことをすればこどもに罰せられる」と言う。
子どもがセックスの快楽や臓器移植のために悪用されているタイでの“闇のこどもたち”のDVDを見た。ある研修会中、このDVDを参加者に見せようとしたとき「見たくない」と断られたことや、「慰安婦」のことも聞きたくなかった、というある参加者の反応も印象に残っている。
CPCWの仕事場
センターの使命を果たすための助けを願う祈りは次にように続く。
「私たちはそれぞれ豊かな内面性を与えられています。けれども、それを十分に活かしていません。私たちセンターのメンバーは、一人ひとりの中に内在している心の力を発見し、それを活かす使命を頂いていることを自覚しています。どうか、私たちの使命と目標への自覚を強め、それを力強く追究し実行し、勇気をもって社会において働き続けるための英知、ビジョン、忍耐、支えをお与えください。」
上述した心と魂の痛みや叫びに対する薬物や手術はなく、心理学や哲学、信仰や宗教による的確な指導や援助も殆どないと言っても過言ではない。 CPCWは、こうした痛みに苦しむ人と関わり、進んで共に癒しの糸口を探し続けることができる。
CPCWは、このように社会からも要求される者であり、日常生活の場でも自分なりにスピリチュアルケアを実践できるであろう。センターのメンバーの使命や天職はまさにそれである。CPCWは完璧な者ではないが、役に立ちたい、援助したいという希望をもちつつ努力し続けるなら、何らかの助けができるに違いない。
大切なのは明確な目標をもち、自分の能力やタレントを活かして、毎日の闘いを勇敢に継続することである。自分をはじめとして社会や国家、世界も完璧ではない。それでも希望を持って、改善へと行動し続けることが鍵である。
昨年12月、コペンハーゲンで行われたCOP15 が期待通りに進まなかったのは事実である。だが温室効果ガス排出量の削減は、将来いつか取り扱えば済むという問題ではなく、人類が今後生き残れるかどうかの切実な問題であり、現在の最優先課題であろう。中国とUSAは世界の40%の温室効果ガス排出量の国、それらにインド・ロシア・日本とドイツが続いている。温暖化は政府間の問題だけでなく、わたしたち一人ひとりの課題である。そのためには知性だけでなく、心と魂の働きが要求されている。温暖化は個人のスピリチュアルな課題の一つであり、その取り組みはまず自分自身から始めなくてはならない。資源や原料を大切にすること、節電や節水、車の使用やテレビの時間の制限など、便利で習慣化した生活様式に不便さを与えるようなことを実践しなくてはならない。
センターのメンバーは、社会の心と魂のエネルギーを活かすアバンギャルドであって欲しい。わたしたちは人間として一人ひとりの内面性を活かし、責任を持って精一杯最期まで生きられることを目指している。心と魂のケア、いわばスピリチュアルケア/スピリチュアリティは、制限された厳しい生活からの逃げ道ではなく、生と死を含めた厳しい現実を生きることへの援助である。全人的な生き方には、心と魂を活かすことが不可欠な要素なのである。
スピリチュアルなパワー
昨年11月、マスメディアで知ったベルギーの男性(現在46歳)のドキュメントは、人間のスピリチュアルなパワーの偉大さを再認識する刺激になった。彼は1983年に交通事故に遭い、それ以来23年間昏睡状態(植物状態)にあると診断されたが、実際は意識があり、麻痺状態でコミュニケーションがとれないだけであった。彼の脳は正常で、ただそれを表現することができなかった。「叫びたかったけれど、声が出なかった」と言う。
こういう状況でありながらも生きられた一つの手段は“メディテーション”であり、自分の実際の状況が理解されたときは“第2の誕生のようであった”と、彼は特殊なコンピューターを使ってこれらのメッセージをタイプした。23年間身体だけに閉じ込められた彼、長年にわたって希望を持ち続けながら治療や検査を継続した医療従事者、そして誤診を公に発表したこと、等々は、人間の内面的なパワーと可能性を物語っている。ちなみに医療従事者が、“植物状態”のラベルを付けられた患者は“治療の対象にはならないものと見る”傾向を正直に反省したこともスピリチュアルなパワーの現れであると評価したい。
スピリチュアルケアはまず自分自身のスピリチュアルな生き方から始まる。
自分は
どこからきたのか
どこに向かって生きているのか
自分の生の元は何/だれであろうか。
人生の目標は何であるか
その目標に向かって生きて/行っているか。
これらの問いに解決はできなくても、絶えず自答自問をし続けることは他者へのスピリチュアルケアの基礎である。いわば“ともに生きることの信任状・資格証明書”でもある。
センターへのビジョン
当センターは今年で満12歳になった。A会員は14団体、B会員は377名、資格認定者の臨床パストラル・カウンセラーは70名、臨床パストラル・ケアワーカーは10名、臨床パストラルケアは2名(??)、資格認定研修中は40名である。未資格認定者としてスピリチュアルケアを行っているメンバーは別として、現在活躍中の認定臨床パストラル・カウンセラーは40名である。
センターの次のステップとして次の事柄を提案する。
・センターの使命を一人ひとり意識化する。“センターの使命を果たすための助けを願う祈り”はそのためのガイドラインと援助になる
・センターのメンバーはセンターの使命を追究できるように、ブロックごとに尊敬に基づく連帯感(相互の関係)を強める。ブロックは、仲良し会やそのつながりの絆を好き嫌いとか上下関係、操作的ではなく、一人ひとりを内面的に活かし合う団体となるように。
ブロックのメンバーと関わることは患者訪問のよい訓練になりうる。(患者との出会いは好き嫌いではなく、本物同士との出会い、触れ合い!であることからも理解できる)
・資格認定者の働く場を獲得する。
例えば、NPOスピリチュアルケア東京のように、医療・福祉に携わる地域の団体との連携や、ワーカーの派遣事業を行う。資格認定者である看護師がイニシアティブをとって看護ステーションを設立し、あるいはその中でワーカーとして働く。相談所の設立(仙台「共に歩む会・萩」)など
・現在のNPOの次のステップとして学院を設立する。(NPO設立以前から目指している、公にアピールするための研修/研究/派遣できる機関)
・(資格認定者を含む)休眠会員への働きかけ
・会員一人ひとりは社会の内面性を活かそうとするセンターのメンバーとしての自覚と誇りをもつこと
臨床パストラルケアの主人公は
わたしたち一人ひとりのセンターのメンバー
by pastoralcare-jp
| 2010-02-02 10:00
| 記事